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【トルデジアン走ってきた #6】走り始めて3000日超にして挑んだ 330kmに及ぶ巨人達の旅もついに完結!

(2018.03.23)

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世界屈指の山岳耐久レース“Tor des Geants(トルデジアン)”。昨年このレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、走り始めたきっかけから、レース挑戦に至った経緯、そしてレース本番の模様を赤裸々にAkimamaで書き綴っていただきましたが、本編でついに完結! お見逃しなく。

▼前回のお話はこちら
【トルデジアン走ってきた #5】ワ~ォ(*/▽\*)衝撃のシャワー事情、無双モードからの睡眠不足、迫る関門…レース中盤もドラマチックだ



330km、制限時間6日と6時間。難関のトレイルランニングレース、Tor des Geants(トルデジアン―巨人達の旅)。心身共にかなりの疲れが見え始めてきた4日目。ついに遅れを取りはじめ、関門がすぐそこまで迫ってきた。コース上で救助される選手、関門に間に合わず泣き崩れる選手。そんな光景を前にどんどん心がすさんでいく。周りの選手の数も少なくなっていくなかで、冷静さを欠いて、暴走しては潰れ、暴走しては潰れを繰り返す。応援に来ていた友人からや大会スタッフのサラに励まされながらなんとか5日目を乗り切った。約240km。・・・・・・あと2日。

* * *

9月14日、15:33、VALOURNENCHE(239.0km)

 5つ目のライフベース。5回目ともなれば、ライフベースでの段取りは覚えてきた。最初にお皿に食べたいものをたくさん盛って、それを口にしながらヘッドライトの電池の入れ替え、補給食の追加、夜間の防寒着の追加など荷物の整理をする。ちょっとのんびりしているとあっという間に時間が過ぎていく。休みすぎは禁物だ。とにかく焦っていた。

「ちょっとさ、もうちょっと、落ち着いたら? せめて、行儀わるいから座って食べなさいよ」

 向かいに座るヨシダさんに怒られた。数km前で一緒になり、ここまでふたりで眠気覚ましのしりとりをしながら歩いてきた。わたしはドロップバッグを椅子に座らせ、自分はその横に立ったまま荷物をいじりながら食事をしていた。ヨシダさんは父と同じくらいの年齢だった。18歳で家を出たわたしは、もう久しく親に怒られていなかった。

「だって、このほうが楽なんですもん」

 まるで子どもの口ごたえだ。ひと通りの荷物整理を済ませ、パスタをかっこんでひと眠りすることにした。外では、シトシト雨が降っていた。

(これから夜なのに、雨の中、出るのかぁ。いやだなぁ)

 スプリングベッドが並ぶ体育館は半分くらい埋まっていた。いくぶんか遅れを取り戻し、後方集団に追いついたようだ。身体を休める選手達が激しく咳き込んでベッドのスプリングを揺らしている。わたしと同じようなぜんそく系の咳をする選手は、日に日に増えていった。ゲホゲホゴホゴホという咳が体育館に鳴り響き、まるで野戦病院のようだ。咳の原因は確かでないが、乾燥した空気に牛の糞や砂ぼこりが飛散して、それを吸い込むからじゃないかと誰かが言っていた。

5日間走り続けている泥だらけのゾンビ達がそこかしこに転がっている。

 ベッドに横になる前に、靴を脱いで、靴下も脱いだ。一週間、ろくにお風呂も入らず、シューズを履きっぱなしで走り続けると、足の裏がとんでもないことになる。人間の足は一週間で330km走るようにはできていない。足の裏で全身を受け止めているわけで、足裏のトラブル回避は完走する上でとても重要だ。足の皮がふやけないように、エイドステーションや小屋に寄る度にシューズも靴下も脱いで足を乾かした。靴紐は全部ゆるめて、履く時に一番下の穴から全部再び締め直して、丁寧に結ぶようにした。脚の擦れや皺をふせぐジェルを何度も何度も塗り直して保護をした。それに加え、4つ目のライフベースのメディカルスタッフが施してくれた不思議なシートがクッションになり、今のところマメも水膨れもなかった。

これが何でどういうものだったのかは、よくわからないが、すごく調子が良かった。

 1時間ほど睡眠を取り、やっぱりここでも恒例のマッサージ。前回の失敗を繰り返すまいと、度々スタッフに「次は、わたしの番だ! 1時間前に名前を書いた!」と主張したが、結局順番の時間からさらに30分待たされ、やっと通された時にはちょっとイライラしていた。

 が、そんなわたしに「待たせてごめんね!」とアイドルみたいな長髪イケメンが駆け寄ってきて、イライラなど一瞬にしてどうでもよくなった。マッサージは膝下だけでいいやと思って薄いロングパンツを履いていた。裾をたくし上げると、イケメンが「これ、脱げる?」と耳元で囁いてくる。おいおいおい。イタリア人男性は顔が近い。近い近い。ひざ下で大丈夫、というジェスチャーをしてみたが、脱げ脱げ言われて結局イケメンの前でパンツみたいな一分丈のスパッツ姿を晒すことになってしまった。まぁ、やむを得ない。33歳、べ、べつにこんなことじゃ怯まな・・・い、し!

 赤っ恥晒してマッサージを受けている間に、外の雨は止んでいた。3時間半の滞在でライフベースを後にした。みるみるうちに遠くなる石畳の美しい町が闇に溶け込んでいく。天気予報は、いつのまにか明日以降も晴れとなっていた。

遠ざかる街の灯り。今日もまた、山に向かう。

 はずだった。
 あれ? 何か冷たいものが顔に当たったかな? と思ったら、たちまち細かい雹(ヒョウ)のが一気に吹き付けてきて、あっという間に視界が真っ白になった。目が開かないほどの細かくて強い吹雪。慌てて走って近くの小屋に入ったものの、狭いスペースに選手達がすし詰め状態で居場所がなく、足早に小屋を後にした。吹雪に晒されながらしばらく進んだ先の避難小屋のような場所に駆け込んだ。ガタガタ震えながら、天候が落ち着くのを待っていた。雪が弱くなり始めた頃に、ヨシダさんが追いついてきた。



ヨシダさんとの珍道中の始まり

 避難小屋で、5分だけ睡眠を取ろうとするわたしにヨシダさんが付き合ってくれて、そこから珍道中は始まった。小屋を出て、ふたりで調子良く夜のトレイルを歩いたり走ったり。ここまでの5日間、夜間はほとんどひとりだった。誰かが一緒というのは心強い。

「あれ?マーキングないですね?」
「そのうち出てくるんじゃない」
「ん~あっちにあったと思うんですけど」
「やっぱりこっちかな?」
「あそこですかね?」

 コースマーキングの旗を見失ってしまい、行ったり来たり。同じ場所を散々グルグルしたりして、数十分費やしたかもしれない。昔よりずっとコースマーキングが増えた、と言う人もいるが、日本のコースマーキングの多さに比べればずいぶん少なく、コースを見失いそうになることもあった。結局、ズンズン進む後続の選手に付いて行き、コースに復帰した。登りきった後は地図で見るとほんの、ほんの、ほんのわずかな下りで次の小屋に着くはずだったが、真っ暗なコース上にいくつもの大きな建物が現れては、その度に2人してエイドだと勘違いながら夜の山を彷徨うように走り続けた。



Rif Modlo、深夜、?時

 深夜、何時だったのだろう。あ~~~~やっと着いたぁ、と心の声を漏らしながら着いた小屋でやっと足を休めることができた。

小屋はオアシス。灯りが見えると心底嬉しい。

「あのぉ、わたし、30分寝たいんですけど・・・」

 許可制ではない。ましてやチーム戦でもない。だけど、ヨシダさんに頼むわたし。

「え~行こうぜ」
「じゃ、じゃあ、20分! 20分! だけ! 20分だけ・・・!」
「何?それは俺に待てって?」
「・・・いや、まぁ、あの、」

 バレバレだ。ひとりで進むより、だれかと一緒に走りたかった。今までどのレースでも他の選手と並走したことはなかった。自分には自分のペースがあるし、気を遣うのも好きじゃなかった。チームかソロかを選ぶレースでは、迷いなくソロで出場していた。そのわたしが、一緒に走ってほしいと懇願していた。自分でも不思議だった。ちょっとぶっきらぼうでサッパリしているのに、わたしを気にかけてくれるヨシダさんに付いて行きたかった。今、ここで、ひとりになると、わたしはもう最後まで行けないかもしれない。今になって思えば巻き込むなんてひどい話で、自分が逆の立場なら、正直そんな人は置いていったかもしれない。

「わかった、じゃあ30分」

 一緒に睡眠を取ってくれることになった。
・・・zzz・・・zzz・・・zzz

「おい! いいかげん起きろ!」

 叩き起こされた時には45分経っていた。どうやら鳴りっぱなしの目覚ましを放置して寝呆けていたらしい。ヨシダさんが起こしてくれなかったらまた寝坊していたかもしれない。わたしゃ、ずいぶんな奴だ。



青い瞳のシクシクおじさん

 そこからは次のエイドまで登りが2つ、さらにその先から、その次のビバッコ小屋まではおおよそ登りが3つと聞いて、数えながら進んだ。凍えるような夜を越え、綺麗な朝焼けを迎え、ふたりで黙々と登り返しをこなした。

朝陽が山の斜面に当たるモルゲンロートという現象。どんな状況でも山はとことん美しい。

 ビバッコ小屋まであとひと山というところで、青い瞳の男性に声をかけられた。

「Can I go with you?(一緒に行ってもいい?)」

 髪も髭も、白に近い金髪だった。ひょろりと細く、身長はそれほど高くなく、小柄で弱々しいおじさんだった。瞳は綺麗な青だったが、澱んでみえた。だれかに引っ張ってもらうという光景はこのレースではよくあることだ。(まさに今のわたしがそうだ)イエス! オフコース! と返すと彼はヨシダさんとわたしの後に付いてきた。たまに距離が離れて振り返ると、遠くから走ってきて、また追いついてきた。補給をしようか、と立ち止まっていると、彼だけはザックをがさごそと漁るものの、一向に何かを食べる気配がない。

「あれ? 食べるもの、持ってないの?」

 どうやら、彼はジェルしか持っていないらしかった。持っていた行動食をほとんど食べてしまって・・・、あとはジェルしかなくて・・・、でも気持ち悪くて食べられなくて・・・、力がなくて・・・、そんなことを虚ろな目と消えそうな声でブツブツと呟いている。

 わたしは、ザックからクラッカーが3枚入った袋を差し出した。彼は一瞬驚いた顔をして、そしてそれをボロボロとこぼしながら、貪るように食べた。その光景を見てこりゃ大変だともう一袋差し出すと「オーマイガー! センキュー、センキュー・・・!」 と声を震わせ、まるで神に祈るかのようにお礼を言われた。私たちのその親切が、彼の何かのマイナススイッチを入れてしまったのかもしれない。さっきまで、登りではわたしよりも速かった彼が、とたんに衰弱した。トボトボと歩いてついてこない。その度にわたし達は足を止めて彼を待った。

斜面をトラバースしたり、越えたりするが、まだまだ遠い。

「あれかな?」

 青い目のおじさんが小高い丘のような場所を指す。

「違う、違うよ、あれを登って、下りて、登って、まだその後だよ」

ここでも、ない。まだもうひとつ登って下りて登る。

 ガックリと肩を落とす彼の背中がますます丸まって、秒速で老いていくようだった。おじさんが、おじいさんにしか見えない。あとひと踏ん張りだから! もう少しだよ! 彼を励まして励まして、やっとのことでビバッコ小屋に着いた。

絶景の中に建つビバッコ小屋

 次の関門、Oyaceには13:30に到着しなければならず、わたし達は関門に追い立てられていた。ビバッコ小屋は数名ほどしか入ることのできない避難小屋で、食事スペースも6人も入れば満員のような場所だ。少し補給をしたらすぐに出るつもりだった。

 わたしは彼の青い瞳を見て肩を握り、強い口調でこう言った。

「We have no time! Eat, Drink, And, We will leave soon!」

 コクンコクンと首を縦に振るおじいさんの背中をグイグイ押して小屋に入った。わたしやヨシダさんが小屋のものを夢中でモグモグ食べている向かいで、彼は俯いて座っているだけで何も食べようとしない。わたしが「これは?」と差し出しても食べようとしない。スタッフが温かいスープを渡し彼の背中をそっと撫でた途端、大粒の涙を流してシクシクと泣き出した。透き通るような白い肌に涙が次々にこぼれていく。大人の男性が目の前でこんなにも泣くところをあまり見たことがなかった。スタッフも慌てて背中を撫でる。余計に彼の涙は止まらなくなった。

「彼の友達?」

 スタッフに聞かれて困ってしまった。さっき、そこで、出会ったんだけど・・・。泣いて泣いて、食べながらも泣き続ける彼。

「彼を連れて行ってあげて」

 正直わたしは、えっ、と思ったけれど、ヨシダさんが答える。

「いいよ、じゃあキミは先に歩いてて。オレこの人と一緒に行くわ。すぐ追いつくと思う」

 どこまでもいい人だ。でもわたしも、そんな風にしてここまで引っ張ってもらっていた。ひとり小屋を出て15分ほどの急登をコルまで登り切って振り返ると、中腹にヨシダさんともう1人が見えた。寒すぎて止まっていられない。仕方なく、ゆっくりと下る。下りはまだ走れるわたしはどんどん下りるけれど、ヨシダさんと青い瞳の“おじいさん”は一向に近づいて来ない。

「どんどん行け!」

 振り返ると遠くからヨシダさんが叫ぶ。どんどん行けって言ってもなぁ。またしばらく走って振り返る。もうずいぶん距離が開いて、私はすでに傾斜がほとんどないところまで下りていて、山の斜面に立つヨシダさんの5mほど後ろでおじいさんはじっとしていた。その存在感は薄く、森に溶け込んで消えてしまいそうだった。ヨシダさんの、行け行けというジェスチャーに、仕方なくしばらく歩きながら先を進んだ。どうするんだろうか。時計を見ると関門時間が近かった。

ものの数分間隔が空けば、人は山に散らばる豆粒のようだ

 町までが死ぬほど遠い、のがトルデジアン。ヨシダさんだけ間に合わなかったら? そう思うと気が気じゃなかった。半分ほど進んだところで、ハァハァという息遣いと共にヨシダさんが追いついてきた。

「もうダメだあの人、何を言ってもまったく動かなくなった。ありゃ、完全に精神的にやられてるな」

 こればっかりは仕方なかった。
 走り続ける意志がない者は巨人達に飲み込まれていく。
 9月15日11:42、Oyaceに到着した。関門の約2時間前だった。



突然訪れる、レース終了の勧告

 Oyaceからの登りでは気管支炎の症状が再び出て呼吸が苦しく、咳が止まらなくて喉が痛かった。足もボロボロ、全神経を使わないと次の一歩が上がらない。

「いいよ、自分のペースで。ゆっくり行こう。」

 けれど、あまりにゆっくり過ぎた。わたしは、自分に甘い。ストイックなどと言われることもあるけど、全然そんなことはない。自分に甘い。甘えられる環境になると途端に自分を甘やかす。「股関節が動かない」「脚が重い」「呼吸が苦しい」「全然進めない」などととにかくヨシダさんに愚痴を言い散らかした。弱音を言う相手が現れた途端に、心の声がぜんぶ漏れてでた。言葉は重い。ネガティブなことを言って、いいことなどひとつもない。

街から稜線に上がるまで、大きな石の階段のようなトレイルが続いた

 ふと顔を上げると、森の中に錆びた車が見える。そういえば奥秩父のあたりに似たような廃車みたいなのがあった気がする。あぁ、あれとおんなじだ。

「ヨシダさん、あれ、めずらしいですねぇ。こんな所に」
「はぁ?」
「ほら、あれ、あそこに古い、車みたいなの」
「何言ってんの」

 車があるはずの場所に近付いても何もなかった。あれ? さっきまで・・・。今度はもっと先に古びたバイクが見えた。その先には滑車のようなものも見える。錆びて茶色くなっている。確かに見えた。確かに見えていたけど、そんなものなどなかった。

(幻覚か・・・。)

 レース中の夜間に幻覚が見えるというのは、ロングレースの“あるある”だ。幻覚・幻聴を経験したら一丁前なんて具合で、レース談義で盛り上がるネタのひとつだ。そんな話は飽きるほど聞いていたし、わたし自身経験したこともあったが、なにせ今は真っ昼間だ。視界十分な真っ昼間の山で、初めて幻覚を見た。目も開いていたし、確かに歩いていたけど、脳だけが無意識に眠っていたのかもしれない。

単調な登りと昼間の暖かい気温が眠気を誘う

「なかなか着かないね」

 ヨシダさんが言った。時計を見ると、まだピークまで標高約600mあった。そこからさらに1時間弱登ったところにあった簡易エイドのスタッフに、コルまでどのくらいかかるか聞いてギョッとした。

「ここからはあと登り(標高)400m、45分はかかるね」

 次の関門はコルを越えて5km下った麓。下りの標高差は1,100mほどある。山の5kmは長い。しかも5kmで1100mという傾斜など、転げ落ちるようなものだ。走れたもんじゃないかもしれない。関門は17:00。下りに1時間以上かかるとすると、コルに最低でも15:30には着いているべきだということが判明した。もうすでに、15:00を過ぎる頃だった。

「ヨシダさん、もう、先に行ってください。今更だけど、このままじゃヨシダさんまで間に合わなくなると思う」

 散々付き合わせておいて、そりゃぁもう、めっちゃくちゃ今更だったけど、普通に歩いて45分のところを30分で行かなければならないという超危機的状況だ。さすがに今のわたしのペースでは到底間に合わないことは目に見えていた。元気な人で45分かかるなら、わたしは1時間半かかるかもしれない。1時間半かけて登ったら16:30にコル、5km下の関門が17:00。5kmを30分、近所をランニングするくらいのスピードだ。それはつまり、ほとんど、レース終了を意味していた。

「そうか、じゃあ次のライフベースでな」

 小さくなっていく背中を見送りながら、再びひとりになる怖さにストックを持つ手が震えた。

目指すべきコルは・・・見えない

 あんなに登りのパワーが残っているのに、わたしの亀のようなペースに合わせてくれていたのかと思うと申し訳なくて仕方なかった。無双モードのスイッチを探す。アドレナリン! 頼む! ほとんど目をギュッとつぶって登っていた。脚がダメなら手を使えばいい。ストックを短く持って、ほとんど四つん這いで登った。無心で登った。

「あぁ、あぁ、あぁぁ」

 声にならない声を出して、登った。あぁぁ、いやだよ。いやだ。終わりたくない。ここで終わりたくない。いやだ。いやだよ。頼む! 頼む! 頼む、間に合って! ひとり抜き、ふたり抜き、コルに着いて時計を見ると、15:45ちょうどだった。遥か下に町が見えている。わたしに羽根があったなら、ここから飛びたつことができたなら、あっという間に下りることができるのに。

 高所恐怖症なら足がすくむような急な下りを、転げ落ちるように駆け下りた。もうどうなってもいい。脚がちぎれてもいい。バラバラになってもいい。もしこれで終わりを迎えるのだとしたら、いっそのことバラバラになってでも走りに走って、次の関門だけは通過して終わったほうが、まだマシだ。1秒前でもいい、1秒でもいいから、最後まで諦めたくなんてない。

 何度も転んで、擦りむいて、かろうじて身体に繋がっているような両脚をブンブン振り回して無心で駆け下りた。筋肉疲労のピークなどとっくに越えている脚がガクガクと震え、本当に脚が根元からもげそうだった。

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ライター
中島 英摩

ライター。テント泊縦走から雪山登山まで1年を通じて山に通う。趣味が高じてライターとなり、トレイルランニングの取材・執筆をメインに、国内外の長距離レースにも出場している。特技は走りながら取材すること。

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