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ホーボージュン令和元年のアジア旅! 「ヒマラヤの果て、雲の手前。〜幸せの国ブータンを旅する〜」前編

(2019.07.31) PR

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Photo by Keiji Tajima


アウトドアライターのホーボージュンさんが
アジアバックパッキングのレポートをお届けして今年で4年目。
令和最初の旅先は、“世界一幸せな国”として知られる
ヒマラヤのブータン王国!
果たしてどんな自然が広がり、
人々の暮らしが待っているのでしょうか?

 

「旅になんか出ないですむなら、それがいちばん幸せだ」

 あれからもう何年になるだろう。その昔、バックパッカー仲間からそんなことを言われたことがある。

「俺らが旅に出るのは、きっとぜんぜん足りないからなんだ。なにが足りないのかわからないけど、とにかくぜんぜん足りなくて、でもここにいたんじゃ見つからなくて、やみくもに歩き回っているだけ。それが旅の正体だ」

 ドミトリーのベンチに座り、クソ甘いチャイを啜りながら僕らは答えの出ない話を続けた。あれは夏の終わりで、旅人は少しずつ自分の居場所に戻り始めていた。満室だったこのバッパーも、いまはもうガラガラだ。時刻は午前1時を回っていた。裏庭から虫の声が聞こえていた。さあもう寝ようぜ、明日は始発なんだろ? そう促して灰皿を片付ける。ああそうだな、お前も元気でな。トーキョウに戻ったら連絡くれよ。そう約束したが、あれっきり会っていない。

「ほんとうに幸せな人は、旅になんか出ないんだよ」

 別れ際、寂しそうに、だけどきっぱりとそいつは言った。

 あれから何年も経ち、去年の正月に、初めてのこどもが生まれた。この歳になって父親になった。まさか自分の人生にこんなことが起こるなんて思いもしていなかったが、それは想像していたよりずっと楽しく、素晴らしい体験だ。今もしあいつに「幸せか?」と問われたら「100%ね」と答えるだろう。あいつ風に言うのなら「ぜんぜん足りてる」のだ。

 それでも僕は旅に出た。目的地はブータン王国。「世界一幸せな国」として知られるヒマラヤの小国だ。

 足りないから行くんじゃない。幸せを求めていくんじゃない。これは僕にとってはもう一歩先の旅だ。新しい地図を携え、新しい旅をする。ヒマラヤの果て、雲の手前。チョルテンがそびえ、ルンタがはためく夢の国へ。
 

時代を超越したかのような
テーマパーク感

 バンコクを飛び立ち、インドのカルカッタを経由した小型飛行機は、分厚い雲の中をゆっくりとパロ国際空港へと下降していた。まるで東新宿の雑踏にいるような喧噪とむせかえるような熱気は、満席のインド人とともにカルカッタで排出され、ガランとした機内には僕とケイジ君、そして実直そうな若者の集団が残っているだけだった。

 でも彼らがブータン人なのかネパール人なのか、それともどこか別の国から来た観光客なのかよく判らない。そもそもブータン人てどんな顔なんだっけ?

 たいした予備知識もないまま、僕はブータンに向かっていた。知っているのは経済発展よりも国民の幸福を目指しているということと、国王夫妻が美男美女だということぐらい。東日本大震災の時に被災地で祈りを捧げる国王を見て、いつか訪ねてみたいなと思っていたのだ。 飛行機が着陸すると日本とのあまりのへだたりに軽い目眩を感じた。国際空港だというのにボーディングブリッジも駐機場もない。だだっ広い滑走路に小学校の木造校舎のような建物が建っているだけだ。建物の屋根は瓦葺きで、窓という窓、柱という柱にカラフルな色彩の仏教紋様が描かれ、まるで中世の仏教寺院のようだった。なにかの手違いで民俗資料館かテーマパークにでも放り込まれてしまったんじゃないかと僕は思った。
「コンニチハ。ガイドのソナムです。こちらはドライバーのセリングです。ブータン王国へようこそ」

 到着口まで迎えに来てくれたふたりの姿を見て、僕のテーマパーク感は倍増した。白いYシャツの上に着物のような前合わせの民族衣装を纏っている。膝丈の足元には黒いハイソックスを履き、ピカピカに光る革靴を履いていた。まわりを見回すと、同じように民族衣装で着飾ったガイドとドライバーが何組もいて、クライアントの到着を待っていた。きっと民族衣装の着用は政府の定めたレギュレーションなのだろう。政府公認ガイドのソナムさん(左)とドライバーのセリングさん(右)。ソナムさんは山岳ガイドでもあり、30日以上の長期トレッキングをガイドすることもある。敬虔な仏教徒でこの旅の途中形而上学的な話も熱心にしてくれた。

 ブータンでは外国人の自由旅行は禁止されていて、観光旅行はすべて政府公認ガイドが同行する。ビザ取得にはあらかじめルートとスケジュールを申請し、日数分の公定料金を納めなければならない。

 公定料金とはブータン政府が定める観光1日当たりの最低必要旅費のことで、具体的には1日ひとり290ドル(約32,000円)かかる。これにはホテル代、食事代、ガイド代、専用車のガソリン代、ドライバー代がすべて含まれ、僕のように登山を目的とした旅行の場合はレンタルテントやキッチンスタッフの人件費なども含まれる。ようはすべてが官製の観光ツアーなのだ。

 旅人目線でいうと勝手に動けないのはもどかしいが、この制度のおかげで野放図な観光開発が抑えられ、ブータンの伝統と平穏が保たれているのは確かだ。

 それにしても1日290ドルは痛い。今回僕は全10日間の日程で旅を計画していたのだが、旅費をなるべく安く上げるためにいろいろ工夫をした。たとえば公定料金はオフシーズンは240ドルに下がるので、渡航は6月まで待つことにした。6月に入れば往復のエアチケットもぐんと安くなる。雨季が始まってしまうから天候や眺望の点で不利だが、背に腹は替えられない。

 またブータン入国日から無駄なく動けるように、前日はタイのバンコクでトランジットし、8時間も待って未明に経つ便に乗った。こうすれば早朝に入国できるからだ。

「これが私たちのクルマです」

 ソナムさんが指さした先には韓国製の黒い小型車が駐まっていた。ボンネットには金色のペンキでドラゴンの絵が描いてある。ドラゴンはブータンの象徴で、正式国名の「ドゥック・ユル」は「雷龍の国」という意味だ。「これはセリングが描きました。彼の本業は絵師なんですよ」
「へえ~!すごい!」

 セリングさんは笑顔の優しい青年で格子柄の民族衣装を着ていた。英語があまり得意でないようで何をきいてもずっとニコニコしている。

 僕らはさっそくドラゴン号に乗り込んだ。まずは古都プナカへと向かう。ここへ行くには3,150mのドチェ峠を越え、4時間以上も山道を走らなければならない。細くて心許ない国道を走りだすと道ばたに『No Hurry, No Worry』という看板があった。急がなければ、心配事は起こらない、ということなのか。いきなり含蓄のある言葉をブータンは投げてきた。まあのんびり行こう。トレッキングブーツを脱ぎ、後部座席にあぐらをかいた。
 ロードサイドにはハゲ山が続いていて、ときおり大きな農家が見えた。どれも同じような瓦葺きの3階建てだ。窓には極彩色の仏教紋様や龍、虎、孔雀などが描かれている。日本だったら文化財に指定されるような立派な作りでアルミサッシも樹脂部品も使われていない。古民家だけでなく新築の家もすべて同じ作りだった。

「あれは法律で決まっているの?」ガイドのソナムさんに訊く。
「はい、そうです。ブータンの伝統的な建築様式で、西洋建築は禁じられています」

 1階は牛や馬の小屋で2階に家族が住む。3階は壁のない東屋のような構造になっていて、ここで穀物を乾燥させたり干し肉を作ったりするそうだ。建材は山から切り出した松やスプルースで、基礎になる日干しレンガも自分たちで作る。家を建てるときは近所総出で手伝うが、完成まで何年もかかるという。でもそうやって建てた家はとても丈夫で、築200~300年の民家はブータンでは珍しくないという。 移動中、ソナムさんからブータンの基本情報を教えて貰った。ブータンはヒマラヤ山脈の南側に張り付くようにあり、国土の45%が3,000m以上の高山だ。

 面積は九州と同じくらいだが人口は70万人しかおらず、人口の65%が農業従事者だ。これは世界でも断トツの1位。カンボジア、カメルーン、インドなど肥沃な大地を持つ農業大国よりその比率が高いことに驚いた。「ブータンには資源もないし工業もありません。みんな自分たちでお米を作ってそれを食べて暮らしている。私も年に3カ月はこうしてガイドをしていますが、残りは農家をしています」

 ブータンには平地がほとんどなく、山間に棚田を作ってそこで赤米を栽培している。それをインドに輸出し、肉や野菜を買っているそうだ。

 また敬虔な仏教国なので殺生をとても嫌う。たとえば近くを飛ぶ虫たちすら、自分の生まれ変わる前の姿かもしれないと、手を出さない。だから山の民でありながら猟も釣りもしない。じゃあ全員がベジタリアンなのかといえばそんなことは全然なく、インドから輸入した食肉をワシワシ食べている。殺生と肉食は別問題らしい。そういう話を聞くとちょっとホッとする。
 

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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