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ホーボージュン令和元年のアジア旅! 「ヒマラヤの果て、雲の手前。〜幸せの国ブータンを旅する〜」中編

(2019.08.19)

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Photo by Keiji Tajima


アウトドアライターのホーボージュンさんが
アジアバックパッキングのレポートをお届けして今年で4年目。
令和最初の旅先は、“世界一幸せな国”として知られる
ヒマラヤのブータン王国!
いよいよヒマラヤの山麓にある城砦を目指し
トレッキングがスタートします!

ブータン前編はコチラから!)

 ドラゴン号は渓谷沿いの急峻な山道を快調に走り続けた。太陽が高くなる頃「ジグメ・ドルジ国立公園」の核心部へ到達し、つづら折りの道がどんどん細くなった。今日はいよいよトレッキングを開始する。そろそろ登山道も近づいているはずだ。 

 ところがソナムさんはなかなか歩き始めようとしない。時々クルマを停めて周辺の様子を見に行くが、ゴーサインを出さないのだ。

「どうしたんですか?早く出発しましょうよ」
「……」

 なぜかソナムさんは黙っている。目を半分閉じ、頬に指先をあて、まるで半跏思惟像のような顔をしていた。あたりに漂う静寂と諦観。もしかして涅槃に渡ってしまったのだろうか?

「……やめましょう」
「な、なんで?」

 ソナムさんいわくこのあたりのトレイルは雨季でブッシュが覆い茂ってしまい、とても足を踏み入れる状態じゃないという。登山道の整備がされていないから荒廃がひどいらしい。

 そもそもブータンには「登山道」という概念がない。なぜなら誰も登山をしないからだ。山は聖なる場所であり、登る場所ではない。山を縦走するのは交通と交易のためで、僕がいう「トレイル」とは彼らの「生活道路」のことなのだ。
 そんな生活トレイルも最近は自動車が通れる舗装路がどんどん整備され、その役目を終えつつある。このエリアも舗装道路が繋がり、かつての生活トレイルはすっかり廃道になってしまった。

「でも、せっかくだから行ってみましょう!」

 あまり乗り気でないソナムさんを説得し、ドラゴン号から荷物を降ろす。はるか日本からやって来たのだ。しかも一日240ドルもの公定料金を払っているのだ。ブッシュごときで敗退するわけにはいかない。僕はブーツの紐をきつく締め、トレッキングポールを握るとびっしょりと露の降りたブッシュを掻き分け、森の中へと突撃したのである。
 
 ところがどっこいぎっちょんちょん。

「ぎゃあああああ!」

 わずか数百メートル行ったあたりで僕は踵を返し、一目散に舗装路に駆け戻ってきた。

「ヒ、ヒ、ヒルだあああ!」

 ずぶ濡れになったトレッキングブーツとパンツにビッシリと山ビルがへばりついている。日本のヒルよりサイズは小さいが、血を求めてウジャウジャうごめくビジュアルが僕を絶叫させた。何を隠そう僕はヒルが大嫌いなのだ。

「ひゃあああ!」

 僕の後からカメラを抱えたケイジ君も戻ってきた。同じように靴やパンツにヒルが張り付いている。僕はグレゴリーのトップリッドからライターを取り出し、炎で炙ってヒルを落とした。コイツらは無理に剥がすと傷跡が残りいつまでも直らないのだ。本当は塩を振りかけて落とすのが一番早いが、今回は持ってこなかった。まさかヒマラヤの山中にヒルがいるなんて思わないじゃないか。
 それにしてもケイジ君には毎回ひどい目に遭わせてしまう。前回一緒にロシア領サハリンを旅した時には山ダニの襲撃を受け、両脚をボコボコにされた。なんだか申し訳ない。

「ジュ、ジュンさん……」

 ケイジ君が震えた声でいう。

「オレの腹になんかいませんか……? オレからは角度的に見えないんですけど」

 Tシャツをたくし上げて腹を僕のほうへ突き出す。かがみ込んでそれを見た時のことを思い出すと今も鳥肌が立つ。黒くてぶっといヒルがケイジ君のヘソの穴の中へ、身体をグイグイとくねらせながら潜り込もうとしていたのだ……。

「ぎゃああああああ!」

 かくして僕らは廃道トレイルからの撤退を決めた。そしてトレッキング開始地点は風通しがよくてもっとドライな、標高2,400mのダムジン村に変更したのである。

 
旗が風にはためくたびに
祈りが風に乗って届けられる

 ダムジンで簡単な昼食を取ると、僕らはいよいよトレイルを歩き始めた。

 今回目指すのは標高2,850mにあるガサ県の《ゾン》だ。一般的にはここがブータン西部では人が住む最高地点になる。正確にはここからさらに2日歩いた3,840m地点(富士山より高い!)に先住民族が住むラヤという集落があるが、そこに行くには往復だけで4泊5日かかるため、今回は断念した。追加の公定料金1,200ドルはさすがに無理だ。

 さて。ブータンの社会を理解するためにはゾン(城砦)のことを理解しておく必要がある。これは「僧院」と「県庁」を合わせたような巨大建築物だ。ブータンは仏教と国政が密接に関係していて、王制が敷かれる前は仏教の指導者が国政を司っていた。今は議会民主主義の国だが、国民の仏教への帰依は篤く、ゾンが聖俗両方の中心となっている。ブータンには20の県があり、すべての県にゾンがある。

 面白いのはゾンは高山の山頂や見通しのよい峠、川の中州などに設置されていることだ。これは度重なるチベットからの侵攻に備えた軍事拠点でもあったから。そのためガサ県のガサ・ゾンは標高2,850mというとんでもない高所に設置された。いってみれば長野県庁が北アルプスの奥穂高岳にあったり、富山県庁が立山連峰の室堂にあるようなものだ。住民票1枚出してもらうのもたいへんなのである。

 また僧院であるゾンは若いお坊さんたちの学校を兼ねていて、ガサ・ゾンには常時100人以上の少年僧が居住し共同生活を送っている。彼らは休みの日にはダムジン村やガサ温泉まで歩いて降りてくるのだが、そのおかげでこの区間のトレイルは現役の生活道として使われ続けている。

 このガサ・トレイルを歩き始めてしばらくすると道は美しい棚田の上に出た。稜線には何十本もの白い旗が並び立ち、緑の水田を渡った風がその旗をはためかせていた。
 ここにくるまでにあらゆる峠、あらゆる橋、あらゆる山頂で風にはためく旗を見た。その旗には2種類あった。カラフルな《ルンタ》と真っ白な《ダルシン》だ。

 ルンタはブータン語で「風の馬」という意味で、チベットやネパールでは《タルチョ》と呼ばれる。五色の旗に経文と馬のイラストが印刷されていて、五つの色は青、白、赤、緑、黄の順と決まっている。そしてそれぞれの色は仏教では天、風、火、水、地を現している。
 旗に風の馬が描かれるのは「仏法が風に乗って広がるように」という願いからだ。そのためルンタは風のよく吹き抜ける場所に結ばれる。
 また旗が一度はためくたびに一度読経したことになるので、ブータンの人は縁起担ぎのため、なにかにつけルンタを結ぶ。クルマの車内に結ぶ小型のルンタもある。「英語で言うとラッキーフラッグですね」とソナムさんが教えてくれが、その語感に近いカジュアルさがある。

 いっぽうダルシンは「弔いの旗」だ。日本の幟(のぼり)によく似ているが高さは5メートル以上あり、縦長の白い布地に細かい字でびっしりと経文がかかれている。

 ブータンでは人が死ぬと火葬し、その遺灰を山に撒く。そして遺灰を撒いた場所に108本のダルシンを建てることで魂を供養する。風ではためくたびに祈りが風に乗って届けられるというのはルンタと同じで、こちらも風のよく通る丘の上などに建てられる。

「ブータンにはお墓はありません。遺灰を撒いて、旗を立てて終わりです」

 僕はそれを聞いて『千の風になって』という歌を思い出した。あの歌に歌われる死生観はまさにダルシンのそれである。ブータンの人々は墓の前で泣いたりしない。死は悲しいことではない。肉体を抜けて自由になった魂は空を吹き渡り、またどこかで転生するからだ。
 そんなダルシンのはためく丘の下に、古い大きな農家があった。家の前を通りかかると小さな女の子が庭で遊んでいた。「クズ・ザンポーラ(こんにちは)」と声をかけると、女の子は庭仕事をしていた父親のうしろに隠れてしまった。でもその腕の向こうから好奇心たっぷりの瞳が見えた。 母屋のテラスではプロレスラーのような風貌をしたゴツイ男が木工仕事をしていた。その横で男の子が手伝いをしている。男は5円玉のような形をした円盤状のパーツと、剣先のような形をしたパーツをノミとナタで削り出していた。テラスにはそんなパーツが山積みされていた。

「何を作っているんですか?」
「ダルシンの飾りですよ」

 おっかない顔とは裏腹に男は優しい口調で教えてくれた。

「今年の春に母が亡くなりました。その弔いのためにダルシンを建てています。いまはちょうど田植えの季節で忙しいのですが、今日はダルシン作りの日にしました」

 それを聞いて僕はちょっとびっくりした。そうなのか、こういう仏具もすべて手作りするのか。

「ダルシンの木柱もぜんぶ自分たちで山から切り出してきます。ここには何もないけれど、森だけは豊かですから」
 ブータンは国土の72%が原生林で、政府によって手篤く守られている。しかしダルシンには108本もの樹木を使う。これはなかなか看過できない量だ。そこで政府は森林資源保護のために木柱の再利用を推奨したり、新規の切り出し本数を制限したりしているそうだ。

 奥の部屋では別の男が木柱の皮を剥いでいた。兄弟か親戚なのだろうか、どうやら一家総出での作業のようだ。みな時間をかけて丁寧に作業している。

 それを見ながら僕は日本の葬儀のことを考えた。日本では仏壇仏具はもちろん、墓や卒塔婆を家族が彫ることはまずない。儀式もじつにオートマティックで、通夜も葬式も火葬も納骨も葬儀屋に言われたままこなすだけだ。先日知人の葬式に参列した際、葬儀屋が遺族に「お寺さんも忙しいので、このさい初七日も一緒にやってしまいましょう」と言っていたのにはびっくりした。冠婚葬祭の風習が時代に合わせて変化していくのはわかるが、いまの日本はあまりにも忙しすぎて、死者をゆっくり弔うことすらできなくなっている。

 こうして送って貰える魂を僕は少しうらやましく思った。きっとこの家のおばあさんは吹き渡る風に乗り、大空を旅しているだろう。

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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