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山岳ガイド・佐藤 優「人を楽しませながら、こんな軽やかな生き方もあるんだ」

(2015.09.12)

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「ニュージーランドで、簡単にジャンルや季節、国境を飛び越えてしまうライフスタイルに出会いました。人を楽しませながら、こんな軽やかな生き方もあるんだと思ったんですよ」

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今年の5月、北米最高峰デナリ/マッキンリー(6,190m)登頂を目指し訪れたアラスカ。背中に20kg、ソリで30kgの物資を背負いベースキャンプを目指す

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参加者は女性1名を含む、30代から70代までの5名の混成パーティ。うち3名がグレゴリーを背負っていたそう

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国内外、季節を超えて活動する佐藤さん。(左上)2014年6月に訪れたフランス・ピレネー山脈。(右上)東北地方の太平洋沿岸に整備される「みちのく潮風トレイル」(左下)残雪時期の御嶽山バックカントリー (右下)南米最高峰アコンカグアを目指して

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食は海外遠征の楽しみのひとつだそう!(左上)アラスカの激甘テリヤキチキン (右上)魚介がおいしいニュージーランド (左下)ロシアのボルシチ (右下)アコンカグアのベースキャンプで食べたミラノ風カツレツ

ニュージーランドへ
「僕の故郷は、秋田県の鳥海山と栗駒山のちょうど中間あたり。山岳ガイドという仕事に就くそもそものきっかけも、幼少期から続けていたスキーがルーツにありました。いま仕事の拠点にしている関東は大学進学で上京したのがきっかけ。卒業後、東京で一度は一般企業に就職しましたが、どうしてもスキーを生活から遠ざけることができなくて。ほどなくスキー場のパトロールを仕事にするように。職場は新潟の神立高原、福島のアルツ磐梯、岐阜のチャオ御岳など……。好きなスキーに触れ、またいろんな仲間に囲まれ、いい20代後半でしたね」

「そんなとき、偶然スキー場の職場で出会った人から、ニュージーランドでヘリスキー会社を経営している日本人を紹介してもらいました。当時ちょうど29歳。一般の社会に戻るかどうか、人生の分岐点ですよね。もちろんいろいろと考えました。ただ、南半球に広がる未知の世界をなかったことにするという選択肢にはたどり着かなかった。最後のチャンスとして名乗りを挙げ、ワーキングホリデービザを握りしめて、ニュージーランドの地を踏むことになったんです」

 不慣れな海外生活ではあったが、ニュージーランドの豊かさや、山のスケールに魅せられ、刺激的な経験や出会いも数え切れないほど経験したという。

「南島のクイーンタウンというアウトドアの拠点となる町をベースに、3シーズンの間ヘリスキーガイドとして働きました。決して生活に余裕があるわけではなかったですが、本当に毎日が充実していた。驚いたのは、現地のガイドたちはオフシーズン、フィッシングガイドしたり、ヒマラヤの高峰の遠征登山をガイドしたり、雪を追いかけて北半球に渡ってそこでもヘリスキーガイドしたりと、簡単にジャンルや季節、国境を飛び越えてしまうライフスタイルを送っていたということ。そんな彼らを見ていて、ああ人を楽しませながら、こんな軽やかな生き方もあるんだと思ったんですよね。そこから漠然とガイドという仕事っておもしろいなと考えるようになって」

「その後帰国して、一時的に古巣のスキー場にパトロールとして戻ったんですが、救護所で待機していたとき雑誌のある記事に目が止まりました。アドベンチャーガイズ(※)の講習会を取り上げた小さな記事でした。ふと思い立って電話をしてみたんですよ。夏の間の週末、国内でツアーがあるときだけでもいいから、アシスタントガイドとして使ってもらえないか、と。それぐらいのつもりだったのが、僕の経歴をアドベンチャーガイズがおもしろがってくれて話が進み、夏の間契約することになって。しかもいきなり“じゃあツアーリーダーの研修ね”ということで中国の四川省へ山奥へと飛ばされました。アドベンチャーガイズも懐が深いというか、なんというか(笑)」
※アドベンチャーガイズ:「旅行会社」と「山岳ガイド」がチームを組み、準備、トレーニング、アプローチ、そして実際の冒険まで、総合的にプロデュースするガイド会社

ガイドという仕事
「現在はフリーランスのガイドとして年間200日ほどツアーで動いています。春から秋は北や南アルプスなど国内の比較的高所をメインにした登山ガイド。東北出身なので蔵王連峰や八幡平にも足を伸ばします。長野・新潟県境の『信越トレイル』、整備が進んでいる『みちのく潮風トレイル』などのロングトレイルも積極的に利用しているフィールド。噴火が起こる前は、パトロール時代から親しんできた御嶽山で、冬はバックカントリーツアーなども行なっていました。そういった国内の活動の合間を縫うように、ピンポイントでアラスカやカナダ、ロシア、ニュージーランド、アルゼンチンなど、海外へも出かけています」

「実際ガイドになってみて思うのは、この仕事が性に合っていたということ。もともと実家が店をやっていて、僕も若いころは家業の手伝いで接客に立つこともありました。そういう経験もあり、人を相手にする仕事はまったく苦ではないし、むしろお客さんがゴールや目的に向かう過程をサポートをするということには、単に仕事という枠を超えて、本当にやり甲斐を感じます。また、海外から日本のよさを見つめ直すたび、日本のフィールドに興味を持ってくれる外国人を受け入れていきたいという思いも強くなっている。この仕事が楽しそうだと漠然と思っていたころには見えなかった苦労ももちろんありますが、本当にいい仕事に巡りあえたと噛みしめています」

荒天で有名なデナリ/マッキンリー。滞在中の登頂率はわずか1%と現地新聞も報じていたそう
デナリというバックパック
「今年の5月にはアドベンチャーガイズの仕事として、お客さん5名をともなってアラスカにある北米最高峰のデナリ/マッキンリー(6,190m)の登頂を目指しました。女性1名を含む、30代から70代までの混成パーティ。僕はツアーリーダーとして、アラスカ山岳ガイドとお客さんとの潤滑油的な役割での参加でした。……が、残念ながら切れ目のないストームに阻まれ登頂は果たせず。荒天で有名なデナリ/マッキンリーなので撤退はよくある話ですが、通常50%ほどある登頂率が滞在中わずか1%だったのには、さすがに無念のひと言でした」

「デナリ/マッキンリーはヒマラヤ登山と違ってポーターがいないため、飛行機がランディングする氷河上のポイントから、標高5,240mにあるキャンプ5までの滞在中(今回は21日間)の食糧や物資を個々が運び上げる過酷なチャレンジです。今回はバックパックに20kg、個々が引くソリが約30kg。こういった荷物の多さから、エベレストよりもキツいという人もいるくらいだし、根性マークが5つ付くような感じですよね(笑)。それで、僕はアラスカの先住民が畏敬の対象として崇拝してきた『デナリ』に行くのだから、どうしてもGREGORYのデナリを背負っていきたかったんですよ」

 名前に感じるものもあり、また大容量の荷物を運ぶことを前提に作られたであるため、過酷な遠征を考えると選択肢はデナリ以外になかったのだという。

「今回の遠征で使ってみて感じたはの『さすが、なまじデナリと名がついていないな』、ということ。まずヒップベルトとショルダーハーネスの作りがすばらしい。負荷として20kgの重さが体にかかるのに、背負った感じやストレスのかかり方がほかのバックパックと歴然と違う。30kgのソリはバックパックに連結させて引くので、物理的な丈夫さや強さも必要でしたが、その安心感も申し分なかった。そのうえ作りがシンプルでムダがなく扱いやすい。天気がよければ気にならないことでも、荒れたなかでは些細なバックパックの取り扱いがストレスになります。極限の状況での使いやすさが考慮されたデザインで、なるほどなと思う場面が何度もありました。まさに考え抜かれた大型バックパックの完成形という印象です。勝負時のギアですね」

「僕が今回使ったのは75リットルのデナリでしたが、本当は100リットルを探していました。でももう国内には在庫がないと言われて……。そうしたら、ツアーのお客さんが『最後のひとつだった』とデナリ100リットルを背負ってたんですよ! ほか2名もGREGORYのバルトロ。つまり僕を入れて6人のうち4人がGREGORY。そのよさは推して知るべし、ではないでしょうか」

山岳ガイド 佐藤優
1972年秋田県生まれ。国内スキー場でのスキーパトロールを経て、ニュージーランドのヘリスキーガイドに。帰国後、国内外での修業を経てフリーランスガイドになり、神奈川県小田原市を拠点に、夏は登山ガイドや海外遠征のツアーリーダー、冬はバックカントリーガイドなど、1年を通してフィールドで活動中。笑いを誘うトークと、穏やかなキャラクターで老若男女問わず人気。日本山岳ガイド協会、山岳ガイドステージ1、スキーガイドステージ2
Facebook https://www.facebook.com/yu.sato.509


GREGORY/DENALI75
¥46,440
■トルソーサイズ:S、M、L
■容量:S=72㍑、M=75㍑、L=78㍑
■重さ:S=2.64kg、M=2.72kg、L=2.8kg
■カラー:バサルトブラック
■最大積載重量:30kg

 
 
ライター
Akimama編集部
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