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すぐそこにある外国! ホーボージュン「オホーツクの風と謎だらけの巨大島サハリン」前編

(2017.07.24)

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北海道の北にある巨大な島サハリンは、
じつは稚内からわずか40数キロしか離れていない
〝日本にもっとも近い外国〟だ。
昨年の夏、香港・ベトナム・台湾・モンゴルのアジア諸国を放浪した
さすらいの旅人ホーボージュンさんが、
この夏は北方の島サハリンへ旅に出た。
かつては日本領だったこの島には
果たしてどんな自然が広がっているのだろうか?

 
なんでまたサハリンなんかに!?

「今度はサハリンに行こうと思ってるんだ」

 次の旅の計画を話すとまわりの友人たちは一様に驚いた顔をした。

「えっ?サハリンって……どこだっけ?」
「旧樺太だよ。北海道の北にあるでかい島」
「それって、北方領土じゃないの?」
「ちょっと違うけど、グレーゾーンかな」
「そんなとこに行ってもいいの?」
「うん。ロシアのビザを取れば誰でも行ける」
「でも、どうやっていくわけ?」
「船だよ。稚内(わっかない)から定期船が出てるんだ」
「ええっ!マジっ?」

 サハリンなんてみんな知らないから、たいてい質問攻めにあう。そして最後はお決まりの質問を受けるのだ。

「で、なんでまたそんなトコロに?」
「だって面白そうじゃん」

 バカみたいな答えだが(まるで中高生みたいだ)ほかになんとも言いようがない。けっきょくのところ旅の理由なんて“好奇心”と“衝動”しかないのだ。そういう意味でサハリンは正しいデスティネーションだと僕は思う。少なくともモンサンミッシェルやウユニ塩湖よりずっと気が利いている。SNSに上げる写真を撮るために行くような目的地はクソだ。せっかくだもの、未知の扉を開きたいじゃないか。

 そして僕がサハリンに惹かれるのにはもうひとつ理由がある。それは「日本からもっとも近い外国だ」ということだ。

 じつは北海道からサハリンまでの距離はわずか43kmしかない。石垣島~台湾間が約110km、対馬~韓国間が約50kmだということを考えると、これは猛烈なご近所なのだ。
 なのにサハリンなんて誰も行かない。台湾には年間190万人、韓国には230万人もの日本人観光客が押し寄せるというのに、サハリンとなるとその場所すらよく知らないのだ……!

 そのギャップが僕の好奇心に点火した。だったらこの目で見てやろうじゃないか、テントを背負って原野を歩き、いにしえの樺太を感じてやろうじゃないか、と。

そもそもサハリンって、どこの国なの?

 ということで、まずはサハリンの基本知識をおさらいしておこう。
 サハリン(日本名・樺太)は北海道の北にある巨大な島で、カニのツメのような形をしている。このカニツメの長さは南北950kmにも及び、面積は北海道の9割ぐらいデカい。「島」というよりは「本州の北半分」ぐらいの感覚だ。

 古来ここにはアイヌ、ウィルタ、ニヴフなどの北方先住民族が住んでいたが、17世紀後半になると松前藩が進出し、漁場としての開拓が進んだ。さらに19世紀初頭には江戸幕府が最上徳内や間宮林蔵を派遣し、現地を徹底調査。間宮は1809年に間宮海峡を発見し、ここが大陸の一部ではなく巨大な島であることを発見したのである。

 この当時から日本とロシアとは領有権を巡ってたびたび揉めていたが、1905年の日露戦争に日本が勝つと北緯50度以北はロシア領、以南は日本領として分割統治をすることになった。
左)1855年の「日露通交条約」では樺太の領有権を設けず、日露両国民雑居の地としていた。中)1875年の「樺太・千島交換条約」によって樺太全島がロシア領となり、以後流刑地として使われた。右)1905年の「ポーツマス条約」により北緯50度以南の南樺太が日本の領地として復帰した(出典=全国樺太連盟より)

 以降ロシアはこの地を流刑地にしたが、日本は多くの移民を送り込み、酷寒不毛の地を開拓して近代都市を築いた。樺太にはサケ、ニシン、カニ、タラなどの海産物のほか、石炭資源が潤沢で、また原生林のエゾマツがパルプの原料になることから巨大な製紙工場が建てられた。経済の中心地となった豊原(現ユジノサハリンスク)周辺は大いに栄え、60万人もの人々が暮らし、新聞だけでも10紙以上が発行されていたという。王子製紙豊原工場(出典=Wikipediaより)

 そんななか、1941年に太平洋戦争が勃発する。日本とソ連は日ソ中立条約を結んでいたので交戦することはなかったが、広島に原爆が落とされた直後の1945年8月9日、ソ連軍は突如として条約を破棄して南樺太に侵入。日本の街を次々破壊し、全島を占拠してしまった。

 その後、第二次世界大戦後の世界の枠組みを決める「サンフランシスコ平和条約」により、敗戦国である日本は南樺太と得撫(ウルップ)島以北18島の領有権を放棄することになったが、ソ連はこの条約には不参加だったため、国際法上これらの地域の帰属は未定のままである。

 こういった歴史を踏まえ、日本政府は現在「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方四島は日本固有の領土である」そして「北緯50度以南の南樺太は国際法上の所属は決まっていない」という立場をとっている。しかし実際はロシアが千島と樺太全土を実効支配しているのが現状だ。
1951年の「サンフランシスコ平和条約」に基づく現在の国境線。ソ連(現ロシア)はこの条約に調印していないため、日本政府は南樺太の国際法上の所属は決まっていないと主張(出典=全国樺太連盟より)

 ……とまあ、教科書的にいうとこういう状況だ。なので僕のようなバックパッカーが自由旅行をするには少々敷居が高い。しかしそれはそれ、これはこれ。政治家や官僚がどう解釈しようと、民間人には別の解釈があり、いまも北海道とサハリンでは人的、経済的交流が盛んに行われている。なんてったって43kmである。そりゃあ行くだろう。

 5月に入り北海道の雪が溶け始めると、僕はサハリン冒険旅行の準備を進めたのである。

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ライター
ホーボージュン

全天候型フリーライター。6,000mの高所登山からシーカヤックの外洋航海まで、フィールドとスタイルを問わない自由な旅を続けている。『山と渓谷』『ビーパル』『PEAKS』『Field Life』などアウトドア各誌で連載中。公式Twitterアカウントは「@hobojun

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