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ポリネシアに過去を贈り届けた考古学者、篠遠喜彦博士を讃える記念式典が、タヒチ・フアヒネ島で開催

(2019.10.12)

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マタヒアポと呼ばれて

 式典は、ファレ・ポテェと呼ばれる、水上集会場がある広場で行なわれた。その広場には、いくつものマラエもあり、これらも篠遠博士が調査、復元をしたものだ。

 この式典は、博士が亡くなるまで所属したハワイのビショップ博物館とオプ・ヌイによって運営進行された。オプ・ヌイとは、篠遠博士の活動に触発されて、島民有志が立ち上げた歴史文化普及をめざす非営利団体である。また、フアヒネ島の行政を司る「フアヒネ・コミューン」も主催者に名を連ね、島をあげての式典でもあった。さらに主催に名を連ねていたのは、フアヒネ島の「マタヒアポ」である。これは島ごとに存在する長老組織のことだ。マタヒアポは、称号でもあり、長寿であれば誰でもが認定されるわけではない。齢を重ね、知恵と知識を持ち、人望を得た年長者しか認定されない。マタヒアポとは「夜を見通す目」という意味の語だ。長老の知恵と知識は、漆黒の闇でも目が利くほど、あるいは常人では先が見えないときでも先を見通せる、と例えているのである。

 篠遠博士も70代でフアヒネ島のマタヒアポの称号を授与された。島外の、しかも外国人が認定されるのは、きわめて珍しいことである。どれだけ島民から信頼を寄せられていたかわかろう。

 タヒチの伝統的な式典は、祈り、詠踊、演説を基本に進行し、それに、現代的な歌と踊りが添えられる。今回の式典には、島民をはじめ、島外からも100人ほどが参列。祈りと詠踊の後、来賓によるスピーチとなった。スピーチは、フランス語、英語、そしてタヒチ語の3つの言語が使われ、フアヒネ島のコミューン長、マエバの村長、ハワイ州議会の上院議員、ビショップ博物館の代表と続いていった。そして、ひときわ注目を集めたのがオスカー・テマルだった。

 オスカーはフランス領ポリネシアの前自治大統領である。フランスは、第2次大戦後、フランス領ポリネシアに自治権を与え、植民地から海外領土にした。そして議会から選出された自治大統領を領内の首長としたのである。オスカーは2004年、ポリネシア先住民として初めて自治大統領に選出された人物だった。

 そうしてスピーチが終わると、クライマックスとなった。篠遠博士の名を刻んだ記念プレートが、いよいよベールを脱いだのである。

 今回の式典があることを聞いたのは、2019年の4月、ビショップ博物館の関係者からだったが、詳細は知らされなかった。招待状が届いたのは8月に入ってからで、そこには記念プレートの除幕式と書いてあるだけで、式典がどのような意味を持つのか、現地に行くまで、はかりかねていた。

 篠遠博士の功績を讃えるというのはわかる。亡くなって2年だから、少し遅くなった追悼式典かとも思ったが、追悼式典なら命日に行なうのが普通だろう。今回は博士の誕生日に合わせての開催だから、博士の死を悼む思いは込められてはいても、主催者の真意は別のところにあるように思えた。除幕式が終わり、記念プレートが披露された後、博士の名の上に刻まれたタヒチ語の意味を聞かされ、ようやく主催者の思いが伝わってきた。

 EI MURIAROHA NO’OE

 プレートの最上部には、こう書かれていた。日本でも馴染みの言葉が、子音を変えてこのなかにある。「アロハ」だ。タヒチではRとなり、さらに「ハワイのアロハよりも感謝の意味が強いんです」と教えられた。AROHAに冠されたMURIは「終わらない」という意味だそうで、浮き彫りにされたセンテンスは「永遠の愛と感謝をあなたに」となる。

 篠遠博士は、フアヒネ島の人々から愛され、感謝されてきた。だが、博士は世を去り、もはや本人に会うことはできない。それでも愛と感謝を伝えたいとすれば、方法はひとつしかない。博士の教えと遺志を受け継ぐことである。

 式典は、この思いの決意表明であったのだ。開催日を博士の誕生日に合わせたのは、おそらく、博士の魂は生き続けているのだ、という意味を込めてのことだったのだろう。

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ライター
藍野裕之

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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