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【A&F ALL STORIES】合縁奇縁。人と人のつながりから日本で開花した“アメリカの良心”「ペンドルトン」

2018.01.05 Fri

A&F ALL STORIES
第4弾は、創立から150年以上の歴史を誇る「アメリカの良心」ペンドルトン

 A&Fが扱う数多くのブランドのなかでも、とりわけ長い歴史を誇るのが「ペンドルトン(PENDLETON)」。19世紀当時、未開のアメリカ大陸北西部を明らかにしたルイス&クラーク探検隊、ペンドルトンの名は、彼らがたどりついた町の名が由来となっている。
1928年以降、ペンドルトンのマーケティングアイコンとして使われてきた“フレンドリースコット”。ネイティブ・アメリカンとの交流の長き歴史こそが、ペンドルトンがペンドルトンである理由のひとつ。
「当時は、アメリカを代表するスポーツナイフメーカーであるガーバー(GERBER)やコロンビア(Colombia)を扱っていたので、ポートランドにはよく行っていた。そのたびにペンドルトンに電話するんだけど、じつのところけんもほろろでね……」

 創業間もない1977年当時の模様を、赤津孝夫会長はそう振りかえる。

「当時の社長、モート・ビショップJr.さんは、第二次世界大戦で乗船していた船を日本軍に沈没させられたことがあり、ことに日本が嫌いだったんだよ」

 そんなとりつく島のない状況に一石を投じたのが、マティ鈴木という人物だった。

「マティさんは元々プロレスラーで、力道山の弟子だった。レスリングの本場であるアメリカのJr.ヘビー級で、NWAワールドタイトルを4年間保持したチャンピオンだったんだよ」

 マティ鈴木は、今年1月で御年80歳、傘寿を迎える。往年のプロレスファンなら誰もが知るジャンボ鶴田の先生でもあり、ジャイアント馬場がポートランドまで追いかけてくるほどのスター選手。そんなマティさんでも、日本嫌いのモートさんを口説くことに苦戦。何度電話しても断られ、会うこともできなかった。それでも諦めず、2年をかけてようやくその実を結ぶことができ、セールスレップとしてスタート。その後、アジア部門のインターナショナルセールスマネージャーを務め、ペンドルトン社内の賞を数度獲得する。

「モートさんは本当に頑固者だったから……マティさんだからこそ切り拓くことができたと思う。あの人の性格だから、四六時中一緒にいて、運転手をしたり、馬の世話をしたり、そうしてファミリーとして受け入れられ、社長が息子に変わった今も日本のコーディネーターとしてペンドルトンで働いている。マティさんなくして日本でのペンドルトンの展開はあり得なかったはずだよ。マティさんとはじつは非常に長い付き合いで、A&Fの創業から間もない77年に、冒頭に話したポートランドでの出会いが最初。コロンビアもやっていたからよく会っていたし、今も日本に帰国した際はいっしょに食事するよ」

 販売代理店というかたちでスタートしたペンドルトンは、いくつかの輸入代理店を経てA&Fが総代理店となったのが2008年。そのとき初めて、ペンドルトンが主催するロデオイベント「Round Up」に赤津会長が招かれる。その歴史は100年以上あり、白人だけでなくネイティブ・アメリカンもいっしょにイベントに参加していた。
100年以上の歴史を持つペンドルトンが主催するロデオイベント“Round Up”。赤津会長もペンドルトンに認められたからこそ、このイベントに正式に招かれることに。ペンドルトンで着飾った馬に10代の子が乗って町を練り歩く……彼女たちにとっても誉れのときだ。
「ネイティブ・アメリカンの人たちが踊りを披露し、裸馬に乗るんだよ。いろいろなコンテストの賞品はもちろんペンドルトン製品。ペンドルトンで着飾った馬にこれまた着飾った10代の子が乗って町を練り歩く。みんなすごくきれいだし、改めてペンドルトンとネイティブ・アメリカンのつながりを感じさせてもらったよ」

 このとき、モートさんの孫娘が馬術の女王になり、その記念にテキサスでつくったという銀製のバックルをもらった。赤津さん自らの名前が刻まれたそのバックルを、今でも大切していると懐かしそうにほほえむ。そうした縁から、現社長のモート・ビショップⅢに、自宅や牧場に招待されるようになった。

「6月のファーザーズデイに、ビショップⅢに釣りに誘われたんだ。モート家の伝統で、父の日には家族でマッケンジー川に釣りにいく——それに招待されたんだよ。ファミリーだけの伝統行事に呼ばれたのが嬉しくてね。創始者トーマス・Kの家にも連れていってもらった。ワシントンのスネークリバーのほとりにあるんだけど、一日かけて馬で行ったから、尻が痛くてね(笑)」

 アメリカ大陸発見後の歴史はヨーロッパなどに比べると浅い。そのなかで150年以上の歴史を誇り、ネイティブ・アメリカンとの交流などの功績を踏まえ「アメリカの良心」と称されるペンドルトン。150年前にできた工場が現在も稼働し、なかには三世代にわたって勤めている人もいる。

「地元民にとってペンドルトンで働けるというのはステータスなんだよ。誇りをもってものづくりにあたっている。2011年の東日本大震災のときには、いのいちばんに物資を送ってくれてね、真っ白なブランケットを用意してくれた。その後、工場に訪れたときにつくった人を紹介され、南相馬市長から感謝状をもらったことを伝えたんだよ」

「作り手の顔が見えるブランド」を多く取り扱っているA&Fにおいても、これまでの経緯や歴史、そして背景などを踏まえると、特別なブランドといえるだろう。

「今は輸入元が商社に移ってしまったけど、A&Fを最優遇すること、とペンドルトン本社が言ってくれている。今までの関係構築があるから、家族同様に扱ってくれるんだね」
ペンドルトンの創業は1863年のこと。正式にはペンドルトンウーレンミルズ社。1909年、オレゴン州のペンドルトンの町に自社の紡績工場をつくり、ネイティブ・アメリカン向けのトレーディングブランケットの生産を始めている。以来、現在でも変わらず、良質の製品を世に送り続ける。
 最後に赤津会長のお気に入りのアイテムを聞いてみた。

「ラブレス(カスタムナイフの巨匠)がいつも着ていたウールのハーフジップシャツがすごくカッコよくてね。スピンネックシャツというんだけど、向こうで見つけたときは2枚買ったよ。さんざん着まわしたからすっかり擦り切れてしまったけれど、今でも大切に持っているんだよ」

 
(文=牛田浩一 写真=伊藤 郁、A&F) 
  

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