【世界自然遺産】屋久島紀行(後編)アクティビズムの潮流を訪ねる 

2022.04.15 Fri

藍野裕之 ライター、編集者


〜 Nature Activism & Culture Activism  〜
「実装せよ!」という声が聞こえた
 

 わたしは、学会に参加するために屋久島へ来た。学会は学者の集まりと思うのが普通である。しかし、わたしは学者ではない。
「この先に京都大学の施設がありますよね。明日、そこへ行きます」
 永田の民宿の夕食時、品のいい女将にそう告げた。
「あそこは、誰かいるんですか? 人がいらっしゃる雰囲気はありません……」
「そうですか。わたしも初めて伺うので事情はわかりません」
風呂に入った後、夕食どきにそんな話をした。女将はそれ以上聞かなかった。たらふく食い、島の焼酎を飲んだ。WIFIはない。「まだ永田にはケーブルが引かれていないんですよ」。今どき……と思ったが、口には出さなかった。

 今回の学会の関係者でもあり、長年にわたって屋久島をフィールドに研究をする学者に聞いていた。「研究者も害獣あつかいでしたよ」。「害獣」とは、屋久島の場合、集落の作物を荒らすヤクシマザルとヤクシカのことである。研究者は他所から島に勝手に入り込み、自分たちの仕事をする。研究分野によっては、島の自然だけではなく、島民の暮らしの今昔を扱っていく。何のために調査へ協力しなればならないのか、という疑問はもっともなことだ。ひょっとしたら調査・研究は島からの略奪ではないか。そんな疑いを持たれたら、もはや調査どころではない。論文で発表して社会に貢献している、と反論しても、そもそも読みやすい文章が書けていなければ返す言葉もあるまい。かつて本多勝一がいった、「探検する側と探検される側=調査する側と調査される側」の論理の違いである。
屋久島学ソサエティ第9回大会の3日目は希望者が集まって西部林道から照葉樹林をトレッキング。引率者はヤクシマザルを研究する京都大学野生動物センター准教授の杉浦秀樹さん(中央)。20名ほどの参加者は屋久島在住のガイドが多いようだった。
 反知性主義がトランプ政権下のアメリカで、たびたび話題になった。頭脳ではなくゲンコツで事を解決する。そう感じた人が多かっただろうが、そもそも反知性主義とは、学者によるエビデンスの独占的所有に対する反動のことである。所有するエビデンスを権力が狙えば権力との癒着が生まれ、富を独占するブルジョワの如く「知識人」という特権階級が生まれ、科学は階級闘争、分断の温床となる。そんな理論も成立してくる。「反知性主義」は’50年代にいわれ始めたというのが一般的だが、論客の中には起源を近代科学が始まる17世紀まで遡るものもいる。つまり、近代科学とはその発祥からアカデミック・ブルジョワを形成していったというわけだ。

「生態学者は公害に無力だった」。京都での酒を酌み交わしながらの集まりで、京大前総長の山極寿一さんがもらした言葉は忘れられない。’60年代から’70年代のことを指している。生態学はエコロジーであり、生態学者はエコロジストである。生態系のあり方、またその危機をもっともわかっているはずの生態学者たちは、人間の営みが自然の摂理に照らして「公害」として歴史上初めて害悪と規定されたとき、人間の営みの改変を促すような行動を起こさなかったというのだ。
ヤクシマザルはニホンザルの亜種。屋久島が九州から分かれたため島で独自の進化をしていった。ホンドザルより小型でずんぐりした体型で毛色も濃い。かつては駆除が進んで絶滅が危ぶまれたが、近年は農園に電柵を張るなどして人間との棲み分けする手段が模索されている。
 登山家、探検家としても知られる今西錦司は、京大を根城に独自の生態学を身につけ、人類の社会と文化の起源を探るべくサル学を拓いた。山極さんは、その孫弟子に当たる。公害がいわれ出した時代に第一線にいた生態学者は、今西の直弟子たちであり、山極さんにとって非常に身近な一群の学者たちだ。

 民宿へ着く前、わたしは4WDの軽自動車で西部林道をトボトボ走った。陽のあるうちしか車の通行が許されていない世界自然遺産の森を突っ切る林道である。1993年に屋久島が世界自然遺産に登録されたが、西部林道はそれ以前からあった。登録後、観光収入の増加を見込んで大型バスを通そうと、拡幅計画が持ち上がったのだ。そのとき、8mもの拡幅となれば森が分断されてしまうと、島のアクティビストと山極さんら他所から来た学者たちが結託して反対運動を起こした。 公害に無力であった先輩学者とは真逆の行動である。そして、5年もの長きにわたって、上屋久町、屋久町だけではなく環境省や鹿児島県に請願書を送り、学術的なエビデンスから導き出した島のあるべき姿を懇切丁寧に説明、説得し、ついには拡幅計画を凍結させのだ。
拡幅を免れた西部林道は、あまり車も通らない。ヤクシマザルが悠々と横断していた。

僕は少年の頃 学校に反対だった。
僕は、いままた 働くことに反対だ。
俺は第一、健康とか正義とかが大きらいなのだ。  
健康で正しいほど 人間を無常にするものはない。

僕は信じる。
反対こそ、人生で唯一立派なことだと。
反対こそ、生きてる事だ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

(金子光晴「反対」)


 わたしは、この詩を愛している。ただ、それはごくごく個人的な内面に根ざしたもので、それだけで何かが起こせるとは思っていない。西部林道は現在、標高100m〜150mの位置を走る。舗装はされているが、車1台がやっと通れる道幅でしかない。全長は約22km。両側の照葉樹が枝を広げて天蓋のように覆っていた。そこをヤクシマザルが枝づだいに、あるいは悠々と路面に出て道路を横断していた。ヤクシカも車が通ることなどおかまいなし、といった感じで道路を悠然と歩いていた。どうやら、森の分断は最小限に留められ、少なくともヤクシマザルとヤクシカには連続した森になっているように思えた。反対の狼煙をあげた側の認識が正しかったのだ。放ったらかしておけば学者の予測通り、自然は狭い舗装路など簡単に飲み込んでしまい、西部林道は滅多に人が入り込むことのない、野生動物と原生林に出会うことができるエコ・ロードとなったのである。



人間は 火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ

火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい

やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

(山尾三省「火を焚きなさい」)

 この詩は、わたしにとって鎮静の詩だ。とくに自分の内面に反対の炎が燃えさかってきたとき、この詩を読むようにしている。実際にひとり焚き火を焚いて見つめることもある。興奮状態のままで事を始めてうまくいったことはない。自分の気持ちを沸点近くまで高めることは必要にしても、事を起こす前に気持ちを鎮静させることは重要な過程だと思う。興奮と鎮静を行き来させることで、ようやくやるべきことが見えてくるのだろう。屋久島で西部林道拡幅反対の狼煙を上げた者たちの間近に、静かに、祈りに近い言霊を放つ山尾三省がいたことは幸運だったに違いない。
山尾三省(1938〜2001)。東京都生まれ。早稲田大学中退。’60年後半から同志とともに社会変革を目指してコミューン活動「部族」を始めた。’77年に屋久島に移住。西北部の廃村を開墾して田畑とし、自然と人との関係を深く見つめながら詩の創作を続けた。
 わたしが参加しようとしている学会は「屋久島学ソサエティ」といった。この学会の源流のひとつに、山尾三省が’70年代末に屋久島移住をする際、その手引きをした「屋久島を守る会」がある。これに山極さんら屋久島で調査を続ける京大の研究者たちも加わり、「月曜の会」という勉強会が生まれ、その後も、いくつもの集いが離合集散を繰り返す歴史を経て、ソサエティが設立されたのは2013年のことだ。じつに40年近い月日の蓄積が、そこにある。会員は約200人。大きな特徴は、屋久島を調査地とする研究者と島の人々がともに学び、協働して島の将来を考えるところにある。

 島民の会員にはさまざま人々がいる。根っからの島育ちという人もいれば、Uターンの人もいる。さらに移住者だ。山尾三省のように家族で移り住むという縁もあれば、単身で移ったという縁もある。また研究者の会員は全国各地にいるし、加えて、何かの縁で屋久島に魅せられ、遠隔地に暮らしながら島とより深い関係を持ちたいという、いわば関係人口のようなかたちで会員になっている人までいるのだ。そんな多種多様な人々が年1回、屋久島に集って発表、討議、そして懇親会を開くのである。大会は会員でなくても参加でき、わたしは非会員の身分で参加を申し込んだ。

 民宿の夕食は大変な量だった。島の焼酎を飲みながら、たらふく食べて部屋へ上がった。10畳にひとりである。のびのびと眠り、翌朝、大変な量の朝食をいただいた後、学会の会場へ向かった。民宿から歩いて10分ほどの海沿いの防風林の中に平家が2軒。一方が京大の野生動物研究センター観察ステーションで、もう一方は京大のサル学と縁深い日本モンキーセンターという財団の研修所だ。ふたつ合わせて’88年に常設された調査基地である。さすがに新型コロナウィルスによる非常事態宣言が解かれたばかり。例年のように屋久島で一堂に会するわけにはいかず、オンラインとリアルのハイブリッド開催だ。宮之浦の屋久島環境文化村センターを主会場で、永田では日本モンキーセンターの研修所がサテライト会場。両方にパブリック・ビューイングの設備が備えられ、誰でも入場できる仕組みだった。

 山小屋のような室内の永田会場にはスクリーンが用意され、京大野生動物研究センター准教授の杉浦秀樹さんが進行にあたっていた。開会宣言の後に屋久島の古謡「まつばんだ」が歌われた。最初は高校生たちの発表だ。屋久島高校は全国の公立高校に先駆けて環境コースが設けられた。そこに通う生徒たちの瑞々しい発表。「島好きの学生を増やすためにはどうすればいいか」という発表が印象に残った。校内アンケートによると、1年生ではなんと90%が「島があまり好きではない」と答えた。しかし、学年が上がるほど意識は変わり、3年生では「島好き」が過半数を超えた。在校中に地域活動に参加したり、島の自然を学んだりしたことが大きく影響しているという。屋久島には大学がないので、高校生たちは卒業後、島を出るのか、残るかを常に考えるなかでのアンケート結果だ。島の高校生が、これからの人生を真剣に考えている様子が垣間見えてくる。環境コースは沖縄本島の山原(やんばる)にある辺土名高校にも設けられたが、公立高校ではまだ、この2校だけにしかない。

 おりしも2021年は奄美と沖縄に世界自然遺産が生まれた。学会初日、テーマ・セッションとして「琉球弧につらなる世界自然遺産:屋久島・奄美・沖縄」が開かれた。各地を専門とする自然科学者たちの発表と討議だ。島は隔絶的な環境で固有種の宝庫。さらに琉球弧には、三宅線、渡瀬線、そして蜂須賀線という生物境界線がある。境界線の両側で生物相がまるで違うのだ。専門的な内容もあってすべてを理解できた自信はまったくないが、それでも、琉球弧は世界的にも稀有な生物多様性の宝庫でもあるという実感を持てたのが、わたしには大きなことだった。
西部林道から照葉樹林に入るとアコウの大木があった。クワ科の半常緑高木で亜熱帯に近い温暖な地に育つ。枝や幹から多数の気根を垂らし、イチジクに似た果実を実らせる。
 もっとも効果的な学びは口移しだと思う。生身の人からの伝授は体全体に染み入る感じがする。初日、永田会場を発信地に夜会も開かれた。「ウミガメの話を聞いてみよう」という議題。永田の海岸はウミガメの産卵地だ。日本国内ではいちばん上陸するカメの数が多い。永田在住の島民が会場にやってきた。オンラインで全国の人々とつないだ発表と討議。「談話会」と銘打つ夜会だけあって体験談は抱腹絶倒だった。

「昔は腹がへったら家へたべにかえるというのではなく、家から誰かが弁当をもってきたものだそうで、それをたべて話をつづけ、夜になって話がきれないとその場へ寝る者もあり、おきて話して夜を明かす者もあり、結論が出るまでそれが続いたそうである。といっても三日でたいていのむずかしい話もかたがついたという。気の長い話だが、とにかく無理をしなかった。みんなが納得のいくまで話しあった。だから結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった。話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っている関係ある事例をあげていくのである。話に花がさくというのはこういうことなのであろう。」 (宮本常一「対馬にて」『忘れられた日本人』所収)

 これは宮本常一が描いた対馬の「寄り合い」である。小さな議会といっていいのだろうが、結論を急がず対話に時間をたっぷり費やしている。議論もそこそこに賛否を問う今の国会とは正反対だ。たぶん、寄り合いでは全員合意まで対話を続けたのだろう。多数決は合意形成のための方法としては完璧ではない。その方法しかない現代の民主主義は不完全なのだ。ソサエティは学会だから理屈もいう。ただ、発表者の話題提供を受けての討議という対話を大切にしている様子に、わたしは宮本が描いた世界に通じるものを感じた。

 永田の夜会で興が乗った座に、長い間、永田でウミガメの保護活動をしてきた大牟田一美さんが、ひと言だけ優しげな声で投げた。「みなさんはカメが好きですか」。唐突だったため、誰もが答えに困った。何人か声を上げたが、「好きですよ」というのが精一杯だった。大牟田さん自身は自問に答えなかった。閉会後、わたしは答えを聞いてみた。「好きではありません。人生を変えられました」。自然保護活動とはそういうものか。わたしは、それ以上聞くことができなかった。外は雨だった。「明日の朝、山を見てごらんなさい」。永田地区の組長、田中一巳さんがいった。
写真の中央やや左、昇りそうな太陽の方向に冠雪した永田岳が見える。
 翌朝、日の出前に起きて永田川の河口へ向かった。東の空が白みだし、やがて稜線の向こうから陽光が射しはじめた。屋久島第2位の高峰、永田岳(1889m)は冠雪している。亜熱帯の植物に囲まれた冠雪した山を仰ぐ。日本では冬の屋久島でしかできないことだ。やがて、陽が高くなると、山肌の木々がはっきりし始めた。亜熱帯、暖帯、亜寒帯と標高によって植物相が変わる。日本列島を縦にして縮小した植物相である。屋久島には1800mを超える山は8座。その山頂まで海抜0mから一望できるのは永田だけである。人の暮らしは低地の川に近いわずかな部分。これが自然と人間との関係だ。雪を冠した山頂部は別世界。やはり、神の座なのか……。屋久島の人々は前岳、奥岳と領域を区分して、結界の両側で振る舞いを分けた。この意識と姿勢が重要だ。面で環境をとらえるのは机上の空論である。高低を踏まえて立体的にとらえ、段階によって自然と人間との共生関係を考えるのが肝要なのだ。

 屋久島学ソサエティの会長は、設立時から湯本貴和さんが務めている。京大教授で日本生態学会の会長も務めた植物生態学者だ。1959年生まれだから、山極さんの7歳下。ソサエティは、山極さん世代が設立発起人に名を連ねたものの、湯本さんらの世代がリーダーシップをとることになったのである。湯本さんは、動物や昆虫と植物の関係も調査研究。屋久島、アフリカ、ボルネオではサル学者と連動し、サルたちの主食である植物の共生関係を調べ上げた。そして、サルを直接の専門としない研究者で初めて京大霊長類研究所の所長となった。学域と活躍のほどを示すために肩書を並べたが、高校時代に登山を開始し、研究者になってからはツリー・クライミングの技術を身につけ、熱帯雨林の巨木を登りまくった筋金入りのフィールドの先達である。’80年代から長期調査を続け、これまでに延べ3年は屋久島に住んだという。副会長は、屋久島に住む手塚賢至さん。手塚さんは絵描きでもあり、「山尾三省記念会」も会長を務める。三省の遺志を継ぐ活動家といっていいだろう。湯本さんの著書『屋久島〜巨木の森と水の島の生態学』は、この島を知る手ごろな教科書だが、同書には手塚さんが生命感あふれる絵を提供している。
湯本貴和さんは環境保護に関しての提言も活発に行なっている。今年3月いっぱいで京大を退職。環境倫理プログラムLeave No Trace Japanの理事も務めている。

 早朝の絶景をひとしきり眺めた後、前日と同じ永田の会場に向かった。大会2日目。一般発表の後、今回の大会のメインと思しきテーマ・セッション「日本の世界自然遺産の現状と課題――知床、白神山地、小笠原諸島、屋久島、奄美・沖縄」が開かれた。世界自然遺産の登録までに各地には科学委員会が設けられるが、その委員長ほか、経験豊富な研究者が顔を揃えるセッションだ。冒頭、筑波大学大学院で世界自然遺産の専門講座を持つ、同大教授で日本自然保護協会の専務理事も務める吉田正人さんから以下のような問題提起があった。

 日本は、次にどこを世界自然遺産に登録しようと考えるのではなく、「その価値を維持することに集中すべき時期にきている」。さらに「日本には複合遺産がない」。複合遺産とは文化と自然の両者を合わせた世界遺産。人間の営みと自然とが適正な共生関係にあるとみなされる地域が登録される。

 世界自然遺産の科学委員会は、登録後もメンバーを入れ替えながら調査研究を続け、保護活動の礎をつくり、また取るべき方策を立案、実施となれば活動を先導していく。今回の大会には、知床半島、白神山地、小笠原諸島、屋久島、奄美・沖縄と、日本にあるすべての世界自然遺産の科学委員たちがオンラインで発表をした。まず、登録されても、さまざまな問題がいろいろとあることに驚かされた。たとえば白神山地では、シカの増加によって食害が進んでいるほか、気候変動によって積雪が減って豪雪地帯だからこその希有な生態系が壊れつつあると、科学委員長で森林総合研究所のリーダーでもある中静透さんから報告された。また、「日本は先進国の中で圧倒的にレンジャーの数が少ない」という、他国との比較グラフを用いた報告もあった。
公認ガイド読本『屋久島学』は(公財)屋久島環境文化財団が制作・販売。
 屋久島については、ソサエティの会長の湯本さんが宮之浦会場に駆けつけて、屋久島の現状と課題について発表した。まず屋久島の現代史を独自に時代区分し、’20年〜’60年「国有林施業初期の時代」→’60年〜’70年「造林の時代」→’70年〜’90年「開発と自然保護の対立激化の時代」→’90年〜’00年「本格的な観光化の時代」→’00年〜「観光と自然保護の両立を模索する時代」と説いた。「観光」と他に言葉がないので使ったが、どうもうまく表現し切れないもどかしさを感じている様子だったが、直近の時代区分の中に現代も含まれているわけだ。島の人々にとっては島外からの来訪者を迎えることは産業のひとつ。保護保全から利活用へ変わった討議は俄然盛り上がったが、おおむねエコツアーのレベルアップに光明を見ようとしているのがわかった。

 世界自然遺産でありながらレンジャーが足りていないどころか、この人数ではほとんど何もすることができない。また、エコツアーが最善の利活用手段と考えると、ガイドの役割が今後はいっそう増すことは自明の理だ。レンジャーは官の仕事だがガイドは民の仕事。経済性が伴わないと成立しない。登山には登山のガイドがいるように、来訪者の求めるアクティビティに応じた専門技術に加えて、世界自然遺産なのだから、その地の生態系全体の語り部であることが求められる。屋久島ではガイドを資格制とする先進的な制度を早くから導入しているが、その最上位は「公認ガイド」という。この制度設計に屋久島学ソサエティの研究者たちは協力し、さらに試験勉強のための教本もつくったのである。

狩猟が禁止されている屋久島でシカが減少している

ヤクシカ。ニホンジカの亜種でヤクシマザルと同じように屋久島において独自に進化した。ニホンジカの仲間ではいちばん小型。照葉樹林を主な生息地とし、落ち葉や落ちてきた果実、種子、キノコ類などを食している。
 2日間の座学は濃密でヘトヘトになった。最終日の3日目はエクスカーションがあった。西部林道から低地の照葉樹林のトレッキングだ。わたしは参加する前に興味深い話を聞いていた。最近、屋久島の世界自然遺産区域ではヤクシカの頭数が減少傾向にあるというのだ。ニホンジカは日本各地で増加が問題視され、その対応策として害獣駆除という方策がとられている。もともとシカは各地で狩猟の対象だった。シカと人間の共存のあり方として狩猟と鹿肉食は長い歴史を持つ。その狩猟が禁じられた時期があったのは増加の原因のひとつである。だが、屋久島の世界自然遺産区域では狩猟が禁じられている。当然だが駆除もされていない。それなのに個体数を減らしたのはどういうわけか? 原因はまだ詳しく解明されていないそうだが、どうやら原生林の復活も少なからず影響しているようだ。

 シカは伐採直後に芽吹く広葉樹の芽が大好物。森林伐採の直後に芽吹くのは広葉樹だ。狩猟やジビエ、あるいはマタギの文化の文脈でもあまり語られないが、日本列島の各地である時期まで盛んに行なわれた森林伐採によって、結果的に餌が増えてしまったので、シカが増えたのである。森が保護され、伐採によって森の中にぽっかり空き地ができて、広葉樹の若芽がどんどん芽吹くようなことはなくなった。樹々が生い茂って樹冠を広げ、林床に光が届かないような健全な森が復活すると、シカは数を減らすのだ。駆除しても食されることなく処分される状況にいたたまれず、鹿肉食の普及に汗する人々は応援したい。だが、ニホンオオカミの絶滅、気候変動、そして森林伐採もニホンジカの増加の原因なのである。趣味的な狩猟に走る前に、森に一本の木を植えるべきだと思う。

「実装せよ!」という声が聞こえた気がした。自然と人間との適切な共生関係を原生自然を指針にして、自身の場に合う方策を見つけなければならない。屋久島は参考になった。何より「屋久島学ソサエティ」だ。自然と人間のことを考えるには、まず科学的エビデンスが必要だ。そして、科学の知、地元の知、旅人の知を寄せ合うのである。そのためには寄り合いの組織をつくらなければならない。残念なことに、世界自然遺産といえども、他の地域には屋久島学ソサエティほどの組織はいまだできていないのだという。

 京都に戻り、屋久島学ソサエティに入会した。すると、時折関連した学びの場の案内を回覧してもらえるようになった。その中に、知床で行なわれる野生動物管理のリカレント・スクールの案内があった。内容を見ると「知床自然大学院設立財団」が主催するセミナーで、フィールド演習もある短期集中講座という雰囲気なのである。リカレント=学び直し……いま自分に必要なのはこれだと思い、参加することにした。

藍野裕之 ライター、編集者

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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