“地球”をめぐるシンフォニー。30年前の取材の裏舞台。

2024.01.09 Tue

中川祐二 物書き・フォトグラファー

 ある企業のイベント制作をしていた時期があった。当時その企業のグループ会社がドキュメンタリー映画を作るという企画が持ち上がった。

 ここまでの話ではほとんど僕に関わりのある話ではない。ただ、その映画の中に登山家のラインホルト・メスナー(*1)の出演を予定しているという。
(*1)ラインホルト・メスナー=“Reinhold Andreas Messner”。1944年生まれ。人類を代表する登山家のひとり。1970年にナンガ・パルバットの登頂を果たし、それ以降、17年間でマナスル、ガッシャーブルムⅠ峰、エベレスト、K2と次々と8,000m峰の頂を踏む。1986年には全14座の無酸素登頂を果たしている。
 当時、僕はアウトドアや山岳関係の雑誌の仕事もしていたので、メスナーと連絡を取りたいという要望が僕のところにきた。そんなことを言われても僕はそこまで顔は広くない。そこで雑誌編集者にそのことを伝え、橋渡しをした。ただそれだけのことだったのだが、実際にイタリアに住むメスナーの取材にカメラマンとして同行することになった。
『地球交響曲』第一番の劇場公開時のリーフレット。
 その映画とは『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』(*2)という。イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士(*3)の唱えるガイア理論、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方に基づき、龍村 仁(*4)監督によって制作されたオムニバス(*5)のドキュメンタリー映画。環境問題や人間の精神性に深い関心を寄せる人たちのバイブル的存在となっている。のちに第九番まで制作することになるが、僕は第一番のみ参加した。
(*2)地球交響曲(ガイアシンフォニー)=イギリスのジェームズ・ラブロック博士の唱えた「ガイア理論」に共感した龍村 仁監督が手掛けたドキュメンタリー映画。1992年に公開の「第一番」から始まり、現在まで「第九番」まで制作されている。(*3)ジェームズ・ラブロック=“James Lovelock”。1919-2022。イギリスの科学者、作家。「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という「ガイア理論」を提唱した。大英帝国勲章の受賞者。故人。(*4)龍村 仁=1940-2023。ドキュメンタリー映画監督。代表作は第九番まである『地球交響曲』。故人。(*5)オムニバス=“omnibus”。複数編の別の話を並べてひとつの作品として構成する表現。オムニバス映画。
 この映画にはラインホルト・メスナーをはじめ、アフリカで孤児となった象の保護をしているダフニー・シェルドリック(*6)。1本のトマトの苗から1万3千個のトマトを実らせた野沢重雄(*7)。アポロ9号の乗組員のラッセル・シュワイカート(*8)。アイルランドの歌手エンヤ(*9)。ケルト(*10)芸術文化研究家の鶴岡真弓(*11)の各氏が出演している。
(*6)ダフニー・シェルドリック=“Dame Daphne Marjorie Sheldrick”。1934年生まれ。作家、動物保護の専門家。イギリス系のケニア人。孤児となったゾウを飼育して、野生へと戻す活動を続ける。デビッド・シェルドリック・トラストの創設者。(*7)野沢重雄=1913〜2001。実業家。「生命は本質的に無限の可能性を持っている」という考え方に立ち、薬品を使わない農法を研究。液肥と空気を混ぜ合わせて循環させた養液槽で栽培する「ハイポニカ(水気耕栽培法)」を完成させた。故人。(*8)ラッセル・シュワイカート=“Russell Louis Schweikart”。1935生まれ。宇宙飛行士。月着陸船での初めての有人試験を行なった「アポロ9号」の乗組員。(*9)エンヤ=“Enya”。1961年生まれ。アイルランド生まれの世界的な歌手。作曲家、音楽プロデューサー。日本でのファーストシングルは『Orinoco Flow』。(*10)ケルト=”Celt”。ケルト系の人々。紀元前からヨーロッパに広く分布する民族のひとつ。インド・ヨーロッパ語族に属する。ローマ帝国、そしてゲルマンの発展により衰退。アイルランドを中心に、イギリスのウェールズ、スコットランドなどに現存している民族は、島ケルトと呼ばれることも。(*11)鶴岡真弓=1952年生まれ。芸術文明、芸術人類学の研究者。『ケルト/装飾的思考』(筑摩書房)で、ケルトの芸術文化を日本に紹介。ユーロ=アジア世界を横断する「生命デザイン・造形表象」をフィールドワークとしている。
初めてこのガイスラー山塊を見たとき、まるで舞台の書き割りかと思うほど周りの風景から浮いて見えた。うねうねとした緑のアルム(草原)、その向こうにガレ場が見え、さらに天を鋭く突くような針峰群。日本では見たことのない風景だった。

 イタリア北部、ドロミテの中でもひときわ急峻な山域、ガイスラー山塊のふもと、小さな村にあるフィルミナート城(*12)という13世紀に建てられた城にメスナーは住んでいた。
(*12)フィルミナート城=フォルミガル城とも。南チロル地方に現存する古城。1980年代にメスナーの所有となり、歴史的な景観を崩さないかたちでの改修を進めた。いまは、博物館としても公開されている。

 ラインホルト・メスナーとはイタリア、南チロル出身の登山家、冒険家。8,000メートル14座を無酸素で完全登頂した。1970年、弟ギュンターとナンガ・パルバット(*13)初登頂を目指したが、登頂は成功したものの天候の悪化で下山中にギュンターを見失い、自身も重度の凍傷にかかり足の指6本を失う。
(*13)ナンガ・パルバット=標高8,126m。パキスタンの準州であるギルギット・パルティスタンにある8,000m峰。ヒマラヤ山脈に位置し、世界第9位の高峰。ラインホルト・メスナーと弟のギュンターが1970年に初登頂を果たすも、下山時に遭難。弟を見失い、本人は重度の凍傷を追って足の指6本を切断することになる。
(左)集落を見下ろす崖の上にそのフィルミナート城はあった。馬蹄形の石の門にガッチリとした木の扉は、いまにも甲冑をまとった騎士でも出てくるようなたたずまいだった。(右)室内は遠征をした国々から持ち帰ったお面が飾られ、ここだけ東洋な雰囲気が感じられた。
 何日間か、彼の住む城へ通った。あるとき、彼のスニーカーがドアの外に脱ぎっぱなしになっていた。僕は周りを見て、誰もいないことを確かめその靴を取り上げ中に手を入れてみた。彼は凍傷で6本の指を失っている。今は4本の指で山を歩いていることになる。靴の中は詰め物でいっぱいだった。どの指がないのかまではわからなかったが、ワタのようなものが詰められていた。

 この古城の部屋にはチベットから持ってきたものか、経文が書かれた布が架けられ、壁には魔除けのお面がずらりと並んでいた。さらに、ネパールから連れてきたヤクを数頭近くの山に放し、その世話係としてチベットの青年2人も一緒に生活していた。

 イタリアの撮影が一段落すると、龍村監督が「中川くん、ほかの撮影も来てくれないか?」と……。あまり意味がよくわからなかった。というのも、僕はこの映画の全体像を理解していなかったし、そのあとどんな人をインタビューするのかも知らされていなかったからだ。

 その後1年間に渡り、世界を2周くらいすることになるとは思いもしなかった。

 僕は映画の撮影に参加するのは初めてだった。撮影隊は1回の撮影に10人くらいのチームで動く。その構成はまずスポンサーサイドからのプロデューサー(*14)、この人はついてくるだけであまり撮影には口を出さない。突発的なことでお金やスケジュールの問題などが絡むと出番となるようだ。制作会社のディレクター(*15)。撮影の計画、車の手配、食事の心配などオールマイティな進行係か。
(*14)プロデューサー=“producer”。おもに制作物についての経済的な責任を持つもの。その仕事。 (*15)ディレクター=“director”。制作物の作品について品質に責任を持つもの。広い意味では監督を指す場合もある。
 監督。まあ、これは神様だ。ビジュアル的なイメージ、演出、内容的なことは彼にしかわからない。そのイメージを具現化する“キャメラマン”。今回は龍村監督と何度も組んだ経験があり、映像の美しさでは定評のあるベテラン本田 茂。このほかに助監督。名前だけはちょっとだけ偉そうだがディレクターの雑用、機材運び、監督の雑用、宿やタクシー、弁当の手配などすべての雑用係。他にカメラアシスタント1~2名。フィルムやバッテリーの交換をしたり、レンズのズーム操作やピント操作を画面を見ずにやる。これは職人技だ。

 さらに音響係。画面にマイクが映らない距離を保ちきれいな音を録音する、これも超職人技の持ち主。照明職人の技もなかなかすごかった。現場には軍手だけ持って現れる。地方でも外国でも事前に機材を手配し、その場の明るさを見て必要な照明を考える。真昼間はあまり出番がないのでいつもぶらぶらしている感じがする。

 現地参加のガイド兼通訳、そして僕である。

 今回、この撮影隊にはカメラマンが2人いる。映像のカメラを回すキャメラマンとスチール(*16)専門の僕だ。映画の世界では、カメラマンではなくキャメラマンと呼ばれることが多いそうだ。
(*16)スチール=“still”。スチール写真のこと。ムービーと対になる言葉で、「静止」を意味する“still”から来ている。静止画、または映画の宣伝用の写真など。
 スチール写真は直接作品制作には関係なく、宣伝材料としてポスター、パンフレット、プレスリリースなどに使うことが目的なので、専門のカメラマンを連れて行くことはあまりないようだった。通常は助監督やAD(*17)が片手間に撮ることが多い。だから面と向かっては言われたことはないが”パチカメ”さんと呼ばれ、ちょっと低く見られることもあるようだ。
(*17)AD=“assistant director”の頭文字から。ディレクターの助手。補助的な役割。
 むかし、『ライアンの娘』(*18)という映画を見た。どうしてそんな映画を見たのかは覚えていないが、アイルランドの悲しいほど寂しい村の物語。イギリスの若い将校と、村の学校の教師の妻との不倫物語。
(*18)『ライアンの娘』=『Ryan’s Daughter』。1970年のイギリス映画。独立戦争前のアイルランドを舞台としたヒューマンドラマで、当年の第43回アカデミー賞にて助演男優賞と撮影賞を受賞している。
モハーの崖。アイルランド中西部、100メートルから200メートルの高さが8キロ続く景勝地。だが、天気の悪い日にここに立つと陰々滅々とした気分になる。ここは地の果てかとも思われる景色。海の向こうは遠くアメリカ大陸だ。
 この映画の撮影地がアイルランドの「モハーの崖(*19)」だと思っていた。この項を書くに当たり調べてみると、映画のほとんどはもっと南の地方で撮影され、タイトル映像のほんの少しだけモハーの崖を使ったようだった。そのモハーの崖でも撮影の予定があるというアイルランド、ドニゴール地方へ行くという旅が始まった。アイルランドの歌姫、エンヤへのインタビューだ。
(*19)モハーの崖=“The Cliffs of Moher”。大西洋に突き出るようにして切り立った断崖。アイルランドの代表的な観光地のひとつ。映画『ライアンの娘』の冒頭でも登場する。
 今は営業していないホテルでそのインタビューは始まった。恐ろしいほど色が白く、頬の下の血管が透けて見えるようだ。インタビュアーはケルト研究家の鶴岡真弓氏。

 その夜、エンヤの父親が経営するパブ「Leo’s」へ行き、父親のアコーディオンと歌、きれいな民族衣装をまとった少女の踊るアイリッシュダンスを楽しんだ。エンヤも同行したが、さすがに歌わなかった。

 今や観光地化した「モハーの崖」で撮影し、スケリング・ヴィヒールへと向かった。スケリング・ヴィヒールとはアイルランド南西部、本島から12キロ離れた海に浮かんだ岩礁島。6世紀、ケルト修道士はここを修業の場として13世紀まで修道院の独自性を守り続けた。絶海の孤島にビーハイブ(*20)と呼ばれるドーム状の石の家を築き、そこで生活し祈った。
(*20)ビーハイブ=“Beehive”。養蜂するときの蜂の巣を意味する言葉。ビーハイブ・ハットとも。石を円形状に積み重ねてつくられた小屋。その形状から名付けられた。
 通常は近くの港から漁船のような小さな船で行くのだが、僕たちはヘリで上陸した。島に樹木はなく、岩の間に草が生える程度。こんなところでよく何年も暮らせるものだとしか、俗人には思えなかった。
スケリング・ヴィヒール。アイルランド南西部、本島から12キロ沖にある岩礁島。いくら修行のためとはいえ、天気の良い日には本島が見えるこの石小屋で暮らす。とても信念がしっかりとしていなければできることではない。(右)崩れかけたビーハイブの窓から見えるさらに小さいスケイル・ベッグ島。スケリング・ヴィヒールは世界遺産に登録されている。
 アイルランドのすべての撮影を終え、街へ飲みに出かけた。撮影の本田 茂氏と鶴岡真弓氏と僕の3人。今回この仕事は、ごく少人数の見学旅行のようなもので、専門家の鶴岡先生に解説をいただきながらの旅は、贅沢な時間を過ごすことができた。曖昧模糊としたケルトの話がますますこんがらかるほど興味が湧いた。

 この日はどこかで夕食を済ませ、ホテルの向かいにあった小さなパブに入った。真ん中にU字型のカウンターがあるだけで、そのほとんどは地元客で埋まっていた。欧米人とは顔つきの違う日本人が3人入ってきたので、みなスペースを融通し、席を作ってくれた。

 アイルランドでは有名な黒ビールを注文した。すると、もうすでにできあがっていた客がどこの国から来た、何しに、何のためにと矢継ぎ早に質問をしてくる。まあ、これも国際交流かと答えると、これを食べろと袋に入ったフィッシュ&チップス(*21)を出してきた。食事の後ではとても食べられない、あの揚げ物は。
(*21)フィッシュ&チップス=“fish and chips”。イギリス地方を代表する郷土料理のひとつで、おもにタラなどの白身魚のフライにフライドポテトを組み合わせたもの。
 誰かがいきなり歌を歌い始めた。このパブはアイリッシュ音楽のライブをやっているわけではない。アイルランドでは時々あるのだが、いきなり今日起こったことなどを歌にして歌うことがある。「♫今日の~、仕事はつらかった♫」とでも歌っているのだろう。言葉はまったくわからないが、何やら哀愁を帯びたメロディーは、日本の甚句を連想させる響きがあった。

 歌い終わるとその男は、僕たちに何か唄を歌えという。3人は顔を見合わせた。ほとんど同年代の結論は早かった。♫は~るの、うら~らの、すうみ~だがわ~♫ あれなら歌えるでしょ、瀧廉太郎の『花』(*22)を歌おうという鶴岡氏の提案。
(*22)『花』=明治期を代表する日本の音楽家・作曲家、瀧廉太郎(1879〜1903)の代表作のひとつ。『荒城の月』に並び、多くの日本人に親しまれている楽曲で、制作は1900年。組曲『四季』の第1曲。
 3人は声を合わせ歌い始めた。遠い外国の居酒屋で、いい歳した大人が小学唱歌を歌う。何だかこそばゆい気分だった。

 するとどうだろう、パブにいた人が一緒に歌い始めるではないか。日本語の歌詞で歌っているわけではないが、メロディーは知っているらしい。

 さては、瀧の廉ちゃん、よくありがちなアイルランド民謡かなんかちょっと失敬しちゃたのかな?? とも思ったが、もちろん、そうではないらしい。歌い終わるとみな拍手をし、さらにビールを注文した。

 するとパブの女将は道に面した窓のカーテンを閉め、ドアに鍵をかけた。ああ、俺たちは異国の地で日本の歌を歌ったばかりに拘束されるのかと。

 パブの営業は案外規則が厳しく、営業時間を守らなければならない。でもこうやってカーテンを閉め、騒がなければ大丈夫と女将。みな常連客は毎度のことらしくチビチビビールを飲んでいた。

 僕たちはそろそろ潮時と帰ろうとした。女将はカーテンの隙間から外に人がいないことを確認し、ドアを開け大丈夫だ、今だとばかりに僕たちを店の外に押し出した。

 僕たちも何やらキョロキョロし、足早に向かいのホテルへと向かった。しかし、ホテルのドアには鍵がかかっていた。

「お~、何てこった!」

 このまま路上で朝を迎えるなんて真っ平だ。そう、まだ携帯もない時代だから他のスタッフに連絡することもできない。3人とも元のパブに引き返し、ドアをノックした。女将がカーテンの隙間から顔を出しドアを開けた。事情を話すとすぐにホテルに電話してくれた。

 再び道路を横切り、ホテルのドアをノックした。遅くなったことを詫び、部屋へ転がり込んだ。

 アイルランドロケは終わった。

 次はアフリカのケニアだ。僕はアフリカ大陸へはどうやって行くのか知らなかった。ヨーロッパから南下するのかと思っていたが、なんと南回りのルートだ。話には聞いていたが初めての経験だった。

 今回の移動はすべてビジネスクラスのシートが与えられた。いま考えればバブルの真っ最中ではあるし、まあ、それだけ資金が潤沢にあったのかもしれない。

 いやそれだけではなく、映画の撮影は機材が多岐に渡り、かなりの量を持っていかなくてはならない。エコノミークラスで荷物の超過料金を支払うより、持ち込める荷物の重量が多いビジネスクラスの方が安く上がるという。

 南回りは東南アジアから、いくつかの空港を経由し25時間ほどのフライトだ。乗った飛行機は、当時最先端だった2階にも客室のあるもの。僕たちスタッフはその2階部分をほとんど占有することになった。

 スタッフ以外に2人の乗客がいた。途中経由地の飛行場で降り、再び飛行機に乗るとき、手荷物として持っていたカメラなどの機材をチェックするという。ムービーのカメラは実際に回してみろ、スチールカメラは自分に向けてシャッターを切れと。それが終わるとカメラの電池をすべて抜けと言い、持って行ってしまった。そのチェックをした男が我々の飛行機のいちばん後ろに座っていた。

 ヨーロッパ圏内に入るまで、その男は電池を持ったまま後ろからわれわれを監視していた。

 最後はイタリアからケニアへの夜のフライトだった。離陸してホッとした瞬間、ものすごい音がして窓の外が異常なほど明るくなった。雷だった。後から聞いた話だが、そのときその飛行機に落雷があったという。

 ナイロビの空港に着陸し飛行機から降りると、もう乗らなくていいんだホッとした。飛行機には飽き飽きしていたからだ。飛行場の滑走路を眺めると遠くにゆったりと歩く動物が見える。なんとキリンだ。さすがアフリカ、こんなところから野生動物が見えるのかとびっくりした。

 ここからはマイクロバスでの移動だが、幹線道路はともかく、一本脇道に入ると未舗装のガタガタ道、真っ赤な赤土を巻き上げての走行だ。それほどいいバスではないので、閉めてある窓から室内に埃が入ってくる。慌ててカメラバッグをナイロビで買ったカンガという布で包んだ。木綿の布だが、何もしないよりはいいだろう。

 夕方、ダフニー・シェルドリックが住む象の孤児院に着いた。ダフニー・シェルドリックは、夫の動物保護活動家、デービッド・シェルドリック(*23)とともに密猟によって親を失った象の孤児を野生に帰す活動をしている。夫の死後、デビッド・シェルドリック・トラストを設立、象の保護活動をしている。
(*23)デービッド・シェルドリック=“David Sheldrick”。1955〜1977。ケニア人。農業者であり、動物保護の活動を続けた人物。ダフニー・シェルドリックの配偶者。故人。
 今では大勢のスタッフが孤児となった何頭もの子象を飼育している。毎日の世話はスタッフばかりではない。以前孤児となって育てた後に、野生に帰したエレナという象がいる。エレナに里親になってもらい子象を預ける事もあるのだ。
(左)孤児だったエレナは、今やはり親を殺された子象の里親となり育てている。象が牙を持っているばかりにたくさんの象が殺され、その結果孤児となった子象たちはこの施設で保護を受けている。(右)何頭もの子象をたくさんのスタッフが世話をしている。これは違うが、日本の一升瓶も哺乳瓶として利用されていた。
 われわれはそのエレナに会いに出かけた。草原の中を小一時間も走り車は止まった。ダフニーは車から降り、まわりを見渡しエレナー、エレナーと大きな声で呼んだ。何の変化もない。撮影隊はじっと車の中で待機だ。またしばらくして呼びかけると、薮がガサガサといい始めた。藪の中から大きなメスの象、エレナが子象を連れて現れた。

 ゆっくりとダフニーに近づき鼻で匂いを嗅いだ。

 少人数ならきてもいいと合図があった。監督と本田キャメラマンだけが車から降り、エレナに近づいた。エレナは何の反応も示さなかった。この日本人がそばに来ることを容認したのだろう。しばらくすると中川も来いと無線が入った。藪を掻き分け小走りにエレナに近づいた。優しい目で僕たちを見つめ、鼻をぶらぶらさせ匂いを嗅いでいた。

 そばにいる子象はちょっと違っていた。里親のエレナを取られてしまうのではないかと心配でならない。威嚇しているのか僕の体に当たってくる。子象といっても大きなデスクほどの大きさがあり、重さだって1トンは下らないだろう。なるべく触らないように撮影を済ませ車へ戻った。

 エレナと子象はゆっくりと藪の中へ消えていった。あの優しい目は人を虜にする。

 この後、アメリカ、サンフランシスコのボートハウスで暮らす元宇宙飛行士、ラッセル・シュワイカート、ロスアンジェルスでのアースデイ、奈良天河神社(*24)、トマトの野沢重雄氏を撮影しこの取材は終了した。
(*24)奈良天河神社=天河大辨財天社。奈良県の吉野群天川村にある古社。草創は飛鳥時代、開山は役行者。南北朝時代には南朝の御所が置かれていた場所ともされる。
 実は恥を晒すようだが、正直なところ試写室で完成した映像を見るまで僕はこの映画の意味がわからなかった。いや、見た後もすべてを理解したわけではない。環境問題に警鐘を鳴らしていることは理解できたが、この映画がもっとも伝えたかったのであろうその精神性という部分は、まだ龍村氏の頭の中に入ったままという印象は否めなかった。

 ここですでに鬼籍に入った龍村 仁氏の作品を僕がどう評価するより、九番まである作品をぜひご覧になって龍村ワールドを感じていただきたい。『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』は一般の映画上映館での上映ではなく、ほとんど有志の自主上映に近いもので行われていると聞いている。第一作から30年が過ぎた今でも上映会は開催されているはずである。

中川祐二 物書き・フォトグラファー

“ユーさん”または“O’ Kashira”の 愛称で知られるアウトドアズマン。長らくアウトドアに慣れ親しみ、古きよき時代を知る。物書きであり、フォトグラファーであり、フィッシャーマンであり、英国通であり、日本のアウトドア黎明期を牽引してきた、元祖アウトドア好き。『英国式自然の楽しみ方』、『英国式暮らしの楽しみ方』、『英国 釣りの楽 しみ』(以上求龍堂)ほか著作多数。 茨城県大洗町実施文部省「父親の家庭教育参加支援事業」講師。 NPO法人「大洗海の大学」初代代表理事。 大洗サーフ・ライフセービングクラブ 2019年から料理番ほか。似顔絵は僕の伯父、田村達馬が描いたもの。

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