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【トルデジアン走ってきた #4】ゾンビと化した第2ステージ、復活の第3ステージ

(2018.02.01)

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世界屈指の山岳耐久レース“Tor des Geants(トルデジアン)”。このレースに挑んだライターの中島エマさん(33歳、独身、女性)が、レース完走までをAkimamaで短期連載中。今回、ステージ2、ステージ3を一挙掲載です。

▼前回のお話はこちら
【トルデジアン走ってきた #3】ついにスタート。330kmの冒険のはじまりに浮足立つ


 330km、制限時間は150時間、つまりレースは7日間。難関のトレイルランニングレース、Tor des Geants(トルデジアン―巨人達の旅)のスタートを切った。しかし、出発前から続いていたアレルギー性鼻炎、乾燥した空気と舞い上がる砂ぼこりの影響で初日から気管支炎になってしまった! これまで数々のトラブルを経験してきたが、これはさすがに前代未聞! 呼吸が苦しく高山病のような症状でよろめく中で、周りの仲間の背中を追いかけ、なんとか1つめのライフベースへ。60分の睡眠で体力は回復したが、2日目に待ち構えるのは、標高3000m級の山が3つ……。

* * *

レース2日目、魔の巨大三峰に挑む

「トルデジアンは2日目が最もキツイ」

 巨人達を制覇してきた人達は、そんな風に言う。次のライフベースまでの56kmの中に、標高3,000m級の巨大な塊が3つもある。実際に通るのはコルなので、山自体はもっと大きいのだと思う。ヨーロッパアルプスの3,000mを縦走できるだなんて気持ちよさそう!と思うかもしれない。残念ながら、いや、大変喜ばしいことに、毎度毎度標高1300m~1400m下の麓の町までいちいち下山して麓から登るのだ。縦走と言うにはちょっと無理がある。

ー 誰だよ、こんなクレイジーなコース、考えたの・・・。

尖り方が尋常じゃない。トレイルランナーは脳ミソまで筋肉みたいな人が多いもんで(褒め言葉)、こういうのを見てゾクゾクしたりする生き物なのだ。

 3つのうちの最後のコルは、レース最高地点のcol loson。なんと標高3299m! 高所好きのわたしにとってヨーロッパアルプスの標高の高い場所を走れることもこのレースを選んだ理由の一つでもある。4つの巨人達(モンブラン、グラン・パラディーゾ、モンテローザ、マッターホルン)のうち、グラン・パラディーソ国立公園のエリアを走ることのできる山好き垂涎のコースだ。しかも、明るい時間帯に通ることができる。こんな贅沢なことはない。

 ライフベースで「1時間も」寝て、すっかり気分は爽快だった。このレースはじめての夜のトレイルは楽しかった。睡眠時間が1時間と言うと、トレイルランニングをしない人には必ず驚かれるが、今までわたしが走ったことのあるレースは長くても3日間(二晩)だったので、そのくらいであれば寝ない人が多い。もちろん睡魔と闘うことにはなるが、わたしは比較的眠気に強い方だった。実際、わたしはこれまでレースで15分以上寝たことがなかった。

 喉と肺は相変わらずゼェゼェ鳴っているし、咳もひどい。だけど先は長い。とりあえずぼちぼち行く作戦に変更することにした。とことん歩き通す。きっと、きっと復活する。人間は自分が思っている以上の力を秘めている。限界など、だいたい自分自身の思い込みでしかない。だいたいのことはかすり傷みたいなものだということをわたしは知っている。「復活」はエンデュランスレースにおける魔法のアイテムなのだ。

ー まずは復活を待て。話はそれからだ。

おばけは怖いけど、暗闇のトレイルは大好物だ。

 超ゆっくり、山と高原地図に記載されているような日本人の通常コースタイムのスピードよりもさらにゆっくり(おそらくその2倍くらいで)、真っ暗なトレイルを地道に登り続けた。淡々と歩く作戦は意外と悪くなく、夜明けと共に下りになれば傾斜に身を任せて脚を転がすようにしてガンガン走り、次のエイドにはなんと当初の予定よりも早く到着して、歓喜した。

コルの道標。トルデジアンのマークのプレートが打ち付けてある。

夜明けと共に、暗闇に息を潜めていた鋭い山が姿を現す。

 そうか、登りがダメでも下りで稼げばいい。気を良くしたわたしは、ものの数分でエイドでの補給を手早く済ませて次の山に挑むことにした。大きな十字架が山の奥深くに吸い込まれていくわたしを見送った。

随分早く着いて驚いた。まさか、あの登りの牛歩でも、下りで十分巻き返せている。

次はあのあたりだろうか。

樹林帯から稜線に出るとまた本格的な山岳地帯に入る。その入口に十字架が立ててあった。わたしは、できる。大丈夫。よろしくお願いします、と瞼を閉じて願ってみたりする。

禁断の“アルプスの天然水”

小屋跡か、牛小屋跡か。丁寧に積まれた石でできた曲線の屋根が美しい。(どうでもいいけど遺跡や城壁などの積み石フェチだ。たまらない)

高く遠くまで人が点々と続いて見える光景は、樹林帯の多い日本のレースでは少ない。わたしは他のヨーロッパレースで経験しているので、そんな光景も心が折れるようなメンタルのダメージがないのが幸い。

もう麓の町は見えなくなってしまった。向こうの大きな山塊はさっき登ってきた山だろうか。

 2つ目のコル、Col Entrelorでは日本人の方が、
「写真を撮ってあげよう! ほら、そんな顔してないで! もっと楽しまないと! こんなに絶景だよ!」
と、写真を撮ってくれた。

 心は十分に楽しんでいて、超!ハイテンションなつもりだったのだけど、どうやら見た目は完全に覇気がなかったらしい。

うむ、確かに。

(やった! 下りだ! さっきみたいに、下りで稼くんだ!)

 じっくり登ってコルに到達すると、心が踊った。こうやって、山あり谷あり越えていくのだ。下りのない山はない。登り続ければ、どんな険しい山でも必ず乗り越えることができる。

スタッフが待機する、臨時シェルター。山頂付近まで荷物を上げるのは容易なことではなく、シェルターごとヘリで降ろすらしい。ヨーロッパのレースではよく見かける。

青い空が湖の色をより濃く染めている。向かいの山が男らしくて好みだ。次はあれに登れるんだろうか。

 半分くらい下った広大な場所にぽつんと民家があった。おそらく放牧地なのだろう。仲良さげな家族が可愛らしい私設エイドを出していた。コース上のあらゆる場所で、地元の人がボランティアで選手を応援してくれるのだ。ホットコーヒーとホットティー。

エイド間が長いトルデジアンでは私設エイドはオアシス!

 実はこの時、わたしは水が足りず困っていた。夜間のために両側の胸に刺したボトルの片方はホットレモンティー、もう片方が水だったが、夜の寒い中で身体を温めるためにホットレモンティーはすべて飲み干してしまっていた。エイドはまだまだ先だった。

「水は・・・ありますか?」

 恐る恐る、聞いてみた。優しそうな奥さんがニッコリ笑って手招きする。奥さんは民家のそばにある大きな水槽に頭をつっこんでいるぶっといホースを片手でグワッと掴み、わたしに差し出した。ホースからは水がドボドボと凄い勢いで噴き出している。躊躇するわたしの手を取って、空っぽの保温ボトルになみなみと水を入れてくれた。もうひとつは? というようなジェスチャーで胸のポケットに入れているボトルに目をやる奥さんに、ノー、グラッツェ! とお礼を言って手を振った。

ー リタイアの理由は?

「水に“やられ”て・・・」

 ヨーロッパのレースでよく耳にする話だ。日本では多くのミネラルウォーターが軟水で、あまり硬水を口にする機会がない。ヨーロッパはほとんど硬水で、慣れていない日本人はお腹が緩くなる人がいる。そういえば数年前にコントレックスなどの硬水ブームがあった。要は、硬水で便通がよくなるという話だ。わたしは悲しいかな幼い頃から猛烈な下痢体質で、幸いにもそもそも年中ほとんど出るものがゆるめなので、硬水の影響などもはやどうでもいい。

 もうひとつ絶対に気を付けるべきことがある。それは沢や川の水、湧き水を飲んではいけないということだ。山の麓や町には、いたるところに湧き水のタンクがあり、キラキラ輝く水が溢れ出ている。ヨーロッパの選手は恵の水といった感じでごくごく飲んでいるが、日本人にはあまりおすすめできない。アルプスの山々では驚くほどの数の牛が放牧されていて(しかも結構標高の高いところまで!)、そこかしこに彼らが放出する巨石のような糞が鎮座している。時に道を塞ぐほどの糞の量は、1日も歩けば踏まずに帰るのは不可能だ。レースではもはやそんなことを気にしている選手などいないので、もうみんな仲良く糞まみれだ。

 わかっていた。決して手を出してはいけないとわかっていた。だけど実はわたしはもう水を400mlしか持っていなかったのだ。

(万が一、万が一どうしても水が足りなくなった時の緊急用ってことで・・・)

 そう思ってちびちびミネラルウォーターの方のボトルから水分補給をしていたが、太陽が昇り、下りで走り始めると汗をかき、どんどん水を消費した。汗の量と摂取量が比例しなくなって、途端に手や足が浮腫んでくるのがわかった。脱水のサインだ。

(ほら、あの奥さん、躊躇なくホースを差し出したわけだし、さすがに牛用の水ってことはないだろう。あの家族だってあの水で生活してるんだ。きっと大丈夫!)

 ブツブツ自分に言い聞かせて、えいやっとボトルをくわえ、ゴクリと飲んだ。

 最高に美味しい! さすが、アルプスの天然水!

 ひと口飲んだらもうどれだけ飲んでも同じだろうというよくわからない理論が働いてゴクゴク飲んだ。

写真をズームしたらホースが写っていた。これだ。この水だ。

こういう湧き水もあんまりおすすめできない。

木がないからもちろん日陰などない。日中は炎天下で容赦なく太陽に晒される。

調子に乗ると、トラブルはやってくる

「フォーユー!」

 ゴソゴソとエイドのすみっこに座り込んで荷物を整理しているわたしの横で、コルで写真を撮ってくれた日本人が折り紙の鶴をその場で折ってみせてスタッフに渡していた。丁寧に折られた鶴に、スタッフと幼いこどもが手を叩いて喜んでいる。彼はとてもユニークで、折り紙の他にも、和柄のサイクルウエアを何種類も持ってきていて、度々着替えていた。

 大会スタッフのホスピタリティが高いことでも人気のトルデジアン。大会スタッフは何でもしてくれた。どこのエイドでもみんな優しくて、全力で迎え入れ、全力で見送ってくれる。グラッツェ以外、感謝を伝えるボキャブラリーがなく、もっと気持ちを伝えたいと思う場面が多かった。でも、言葉が通じないのであれば、感謝をカタチに変える。それが彼の表現だった。そんなこと、来る前に考えもしなかった。次来ることがあれば、習字道具でも持ってきて、エイドで書初めでもしてみようか。いや、墨、どうすんだ?

エイドのテントが緑だったので気持ち悪い色になっているが、エイドのスープにごはんを入れたもの。ライフベースごとに、日本から持ってきたアルファ米に水を入れてザックに忍ばせ、次のエイドには白米が出来上がっているという技。それを少しずつスープなどに入れて食べた。やっぱりにぎりめしのパワーは絶大だ。

まだ2日目、まぁ、80kmくらい走っているわけだけど、選手達もまだまだ余裕がある。

 気管支炎は続いていたものの、ここまでのタイムはとても順調で、1日目の不調を完全に取り戻して理想的なタイムまで戻っていた。でもわたしは喜べなかった。

 なぜなら、完全に“OPP”(おなかぴーぴー)だったからだ。

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ライター
中島 英摩

ライター。テント泊縦走から雪山登山まで1年を通じて山に通う。趣味が高じてライターとなり、トレイルランニングの取材・執筆をメインに、国内外の長距離レースにも出場している。特技は走りながら取材すること。

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