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ポリネシアに過去を贈り届けた考古学者、篠遠喜彦博士を讃える記念式典が、タヒチ・フアヒネ島で開催

(2019.10.12)

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多様性に満ちたフレンチポリネシア

 3時間ほどにおよんだ式典は閉会の辞で閉められ、主催者からランチが振る舞われた。色とりどりのフルーツやケーキなどを、めいめいが、プウラウ(オオハマボウ)の葉をお皿に、取り分ける列ができた。列から人が減るのを待っていると、オスカーがゆっくり歩いてきて隣に座った。

「ハワイからですか?」
 英語だった。
 「いいえ、日本からです」
「学者ですか?」
 「物書きです。かつて、博士から多くのことを教わりました。あなたにとって博士は?」
「とても信頼していました」

 21世紀に入ってオスカーは、親フランス派のガストン・フロスと自治大統領の座を争い、2004年に初選出された。その後、失脚と返り咲きを繰り返し、最後の任期を終えたのは13年だった。

 オスカーの在任中に自治権は拡大した。それまでフランス領ポリネシアは、軍事、外交、造幣などはフランスが主導。しかし現在では、独自に外交交渉もできる。その状態を「フランスの海外国」と評することもある。ただ、依然としてフランス憲法の影響下にあり、一時は外れていたが、オスカー在任の最末期、再び国連が定める植民地を脱していない地域のリスト「非自治地域リスト」に記載された。

 篠遠博士は、フランス領ポリネシアの政府予算を得てタヒチでの活動を続けた。史跡復元は文化遺産の観光資源化を意図した観光予算でもあった。そのため政府要人たちと親しく、歴代の自治大統領のなかでは、ガストンともオスカーとも親密だった。タヒチ独立を強く支持していたわけではない。むしろ外国人として、住民の重大な決定は住民がすべきだと冷静に見ていた。しかし、博士の活動がタヒチの政治と関係なかったとするのは無邪気に過ぎるだろう。

 博士が解き明かしたポリネシアの古代史は、ポリネシア先住民が自身のルーツをたどるのに役立った。祖先が西洋や東洋にはない独自の知識体系を持ったことを知らしめた。そんな博士の活動は、世界各地で先住民が権利回復を求めた時代と重なる。

 その学識は民族的アイデンティティの確立の基礎となり、自文化への誇りの回復だけでなく、ラディカルな脱植民地主義に重なって独立運動の淵源にもなった。篠遠博士は、復元にとりかかった67年あたりから、こうした複雑な先住民の文化復興運動と権利回復運動の渦中で仕事をしてきたのである。

 フランス領ポリネシアの人口は約28万人。民族構成は、約67%がポリネシア系、約16%がフランス系、約12%が他の欧米系、約5%が中国系を中心にした東アジア系だ。もちろん民族間の混血は多い。そのなかで独立支持者は都市部に多く、都市部よりポリネシア文化を色濃く残す辺境部は逆に少ないとも言われる。フランスからの補助金の期待が強いのであろう。

 式典に政治色はまったく感じられなかったが、主催者たちや参加者が、元大統領のオスカーの列席を非常に喜んでいたのが印象的だった。

(レポート=藍野裕之 写真=飯田裕子)

(次回:タヒチ紀行1へと続く)

*過去の記事:篠遠博士追悼シンポジウム東京海洋大学で開催

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ライター
藍野裕之

(あいの・ひろゆき)1962年、東京都生まれ。文芸や民芸などをはじめ、日本の自然民俗文化などに造詣が深く、フィールド・ワークとして、長年にわたり南太平洋考古学の現場を訪ね、ハワイやポリネシアなどの民族学にも関心が高い。著書に『梅棹忠夫–限りない未知への情熱』(山と溪谷社)『ずっと使いたい和の生活道具』(地球丸刊)がある。

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